アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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まるでドンキみたいなレイアウト

2019年11月03日 20時57分59秒 | 職場人権レポートVol.3
 
今日は2週間に一度の鍼灸治療の日です。その鍼灸院には、もう20年以上も前から通っています。保険が効かず実費診療となりますが、腕が良いので実家を離れた今も電車に乗って通っています。

私の番が来て、院長先生から職場の様子等を聞かれました。その医院では労災・職業病の診断も行なっていますので、院長先生とは、そういう話も結構します。そこで、最近の職場におけるレイアウト変更に伴うドタバタ劇について話したら、流石に院長先生も呆れていました。

院長先生は、「餃子の王将」の話をされました。「王将」の様な中華料理店では、一人のコックが何人もの客の料理を短時間で作らなければなりません。そういう所では、調味料もコックが一番取りやすい所に置かれています。だから、コックは一々何がどこにあるか思い出さなくても、瞬時にソースや酢、胡椒等の調味料を取る事が出来るのだ、という話でした。

物流センターの作業場レイアウトも、この「王将」の店の様に、誰が見てもすぐ分かるレイアウト、誰でもすぐに持って行けるレイアウトになっていなければならないはずです。

ところが、私の勤めている物流センターのレイアウトと来たら、もうデタラメも良い所なのです。元々、古くて手狭なセンターなのに、無理にレイアウトを設定した為に、ものすごく分かりにくい、使いにくいレイアウトになってしまいました。

別紙の図がそのレイアウトです。約140店舗をA〜Iの9ブロックに分割して、配送コースを基に約10〜20の店舗でそれぞれのブロックを構成して、商品を積んだカゴ車・台車の置き場所を割り振っているのですが、

①場所がないので、わざわざ1番仕分けラインの片側を潰して、そこにGブロックの店のカゴ車を置かなければならなくなってしまいました。

②元々、日配商品の仕分け場所だった所を潰して、そこをHブロック、Iブロックの店の置き場所にしなければならなくなってしまいました。元々、商品の待機場所ではなかった所なので、天井から店名表示板を吊り下げる事も出来ません。店名表示は床に養生テープで貼られているだけなので、時間が経つにつれて、商品のカゴ車に埋もれて見えなくなってしまいます。

③Fブロックなぞは、1店舗分のスペースを前後に分割して、前方をF10、後方をF20と言うように、無理やり2店舗分の置き場所としてしまっています。しかし、幾ら形だけ2店舗分の置き場所を設定しても、実際には1店舗分しか置けないのだから、もうゴチャゴチャになるのも当然です。
 


だから、9月にレイアウト変更したばっかりで、まだ2ヶ月しか経っていないにも関わらず、約140店舗あるうちの約半分、70店舗余りの店のレイアウトを大幅に変更しなくてはならなくなってしまったのです。

そのレイアウト変更も、いつから、どの店の分を、どこにアドレス変更するのか、バイト全員に朝礼等で周知する事もせず、社員と一部のバイトだけで、土壇場になってから大慌てで、何とか形だけ終わらせたのでした。

その挙句に、出荷用ラベルの差し替えもベトナム人バイトに丸投げしてしまい、後の点検もしなかった為に、レイアウト変更前の古い出荷ラベルが使われていた事に、何日も経ってから初めて気付くという醜態を晒す事になってしまったのです。

院長先生からは「あんたとこの会社の物流センターは、まるでドンキの店のレイアウトみたいになってしまっているのだなあ」と言われてしまいましたw。実際その通りです。ドンキホーテの店も、次から次へと安売りの商品が運び込まれる中、経費削減の為に、低賃金のバイトが少ない人数で、狭い店内に商品を陳列していかなければならないので、まるで迷路みたいになってしまっています。

それでもドンキはまだマシな方です。そうやって、商品をわざと乱雑に山積みにする事で、商品の豊富さを客にアピールしているのですから。そこにはドンキなりの販売戦略があります。ところが、私の会社にはそんな販売戦略もありません。あるのは行き当たりばったり、出たとこ勝負の、バクチみたいな仕事だけです。これで良く誤配や労災事故が起こらないものだと、我ながら感心します。

ところで、「行き当たりばったり」と言えば、先日の大学入試への英語民間試験の導入劇もそうでした。長年にわたる受験英語偏重の所為で、高校生に英会話力が身に付いていないからと言って、受験地獄をそのままにしたまま、大学入試の時だけ、生徒に高い金払わせて英語の民間試験を受けさせても、英会話力なんて身に付く筈がないのに。その挙句に、土壇場になってから、英語の民間試験だけ取り敢えず延期とは…。

但し、延期と言っても単なる凍結に過ぎません。ほとぼりが冷めればまた性懲りも無く復活させるに決まっています。大学入試センター試験から共通テストへの変更も、学校関係者の意見も聞かず強行するつもりです。肝心な事には手をつけず、形だけの改革でお茶を濁そうとする。そして、「古い利権をぶち壊す」と言いながら、「民間活力導入」の名目で、英会話スクールや受験産業との「新しい利権」に群がろうとする。まるで今の私の会社と同じではないですかw。

そんなデタラメ放題の安倍政権なのに、何故、未だに国民の半分近くが支持しているのか?その理由は簡単です。「もう何を言っても無駄だ」と国民が諦めてしまっているからです。

その証拠を取り敢えず2つ程挙げます。その第1は支持理由です。見かけの有効求人倍率や見かけの最低賃金が引き上げられた為に、「何となく好景気」だと思わせられ、「何となく支持」している人間の何と多い事か!実際はブラック企業で低賃金のロクでもない求人ばかりなのに。最低賃金が引き上げられたのも、先進国の中では最低ランクだったのが、ようやく引き上げられたに過ぎません。物価上昇分や税金・社会保険料の上昇分も含めた実質賃金で比較すれば、日本はずっと下がり続けています。こんな国は先進国の中では日本だけです。

第2は国政選挙における投票率の低下です。今から30年程前の1990年頃までは、総選挙の投票率は大体7割前後ありました。それが今や5割、都市部では4割行くか行かないかです。有権者の4割しか投票しなくなった為に、全体のたった2割の得票でも過半数で当選してしまうのです。だから、戦争発言の丸山穂高や、「このハゲー!」パワハラ女の豊田真由美みたいなロクでもない人物でも、維新のミーハー票や自民の組織票だけで当選できてしまうのです。
 
ちなみに、上のグラフが1946年(昭和21年)から2017年(平成29年)までの総選挙の投票率推移です。オレンジに青線グラフが衆院選、青に青線グラフが参院選の投票率。どちらも総務省のHPに載っていたものです。どちらのグラフも、昭和から平成への改元(1989年、ちょうど私が赤線を引いた所)を境に、投票率が7割前後から5割前後に約2割も急激に低下している事が分かります。
 
この時に一体何があったのか?「ベルリンの壁」崩壊、自民・社会両党の連立政権誕生、中選挙区制から小選挙区制への移行によって、それまでは曲がりなりにもあった保守と革新の対立軸が無くなってしまいました。その結果、政治の保守化が進み、似たり寄ったりの政党ばかりになってしまい、しかも与党に有利な選挙制度に変えられてしまったために、有権者が政治に幻滅して棄権に回るようになってしまったのです。つまり、「国民が政治を変える事を諦めてしまった」のです。
 
但し、その中で、2005年(平成17年)に郵政民営化が争点になった時と、2009年(平成21年)の自民党から民主党への政権交代の時の衆院選だけは、例外的に投票率が回復しています。これは裏返せば、そういう「よっぽどの事」が無い限り、投票率はずっと低いまま、安倍や丸山、豊田みたいな政治家がのさばり続けるという事です。

今の安倍政権にしてもそうです。これだけ閣僚の辞任ドミノが続いても、首相がのうのうと政権を維持できるなんて事は、今までならありえませんでした。小渕優子経産相、松島みどり法相(以上2014年)、西川公也農水相(2015年)、甘利明経産相(2016年)、今村雅弘復興担当相、稲田朋美防衛相(以上2017年)、江崎鉄麿沖縄・北方担当相(2018年)、今年に入ってからも桜田義孝五輪担当相、菅原一秀経産相、河井克行法相...一体何人の閣僚が辞任に追い込まれたでしょうか?そのたびに、安倍首相は「任命責任は私にある」と口先では言うものの、実際に責任を取ろうとは全然しません。「トカゲの尻尾切り」でお茶を濁すばかりです。ここに名前の挙がった人たちは、いずれも、国民に対しては、二言目には「親を敬え、道徳教育をやれ、愛国心を持て」と言いながら、自分達は散々、私腹を肥やしているのですから、もうお話になりません。
 
しかし、マスコミは、それを全然追及しようとはしません。第一次安倍政権やその後の麻生政権、民主党政権の頃とは大違いです。その中で、多くの国民も、今の第二次安倍政権の下で、安保法制の強行採決や、「表現の不自由展」開催への圧力に見られる「表現の自由」「報道の自由」への干渉がまかり通る中で、「もう何言っても無駄だ」と、政権の意向を忖度(そんたく=先回りしておもんばかる)するようになってしまいました。

実際、うちの会社の社員を見ていたらよく分かります。業務発注元のスーパーから命令された時だけ、「掃除しろ、掃除しろ」とやかましく言うくせに、ベトナム人バイトがトイレに落書きしても、誰も消そうとしなかったじゃないですか。落書きなんて放置していたら、犯人は図に乗って、ますます落書きしようとするに決まっているのに。下手に関わり合いになったら、自分が落書きを消さなければならなくなるから、上から言われた時だけ「いかにもやってます」とカッコ付けるだけで、肝心な時には見て見ぬ振りするのです。要は、自分の保身しか考えていないのです。

今回のレイアウト変更を巡るドタバタ劇でも同じです。普通の会社なら、レイアウト変更なんて重要な仕事をバイト任せにはしません。仮にバイトにやらせるにしても、必ず後で社員が点検するものです。そして、一部の人間任せなんかにはせずに、バイトも含めて全員に、朝礼等でレイアウト図も渡して、きちんと説明するはずです。そうしないと、何か問題が起こった時に、一番困るのは自分達社員なのですから。

ところが、今回もこの会社では、また同じ事が繰り返されました。トイレの落書きの時と全く同じです。安倍政権がモリカケの責任を取らず、東電が福島原発事故の責任を取らず、JR西日本の幹部も福知山線事故の責任を取らない中で、うちの会社も、誰も何も責任を取らず、自分の保身しか考えない社員ばかりになってしまいました。その為に、「取り敢えず形だけ取り繕えば良い」という仕事しかしなくなってしまったのです。
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