アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

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住めば都

2020年05月09日 17時11分03秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 
5月に入った途端に、4月までの花冷えが嘘のように消え、日中は蒸し暑くなって来ました。それでも朝晩はまだまだ冷えますが。春らしかったのは桜が開花した2週間余りだけでした。そこで、今まで着ていた長袖のセーターやシャツを片付け、再び写真の半袖Tシャツを着る事にしました。
 
このTシャツは、黒い生地に白字で前と後ろにそれぞれ「黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ」「釜ヶ崎解放」と染め抜かれています。2年前に私が実家を出て大阪・西成のあいりん地区にやって来た時に、釜ヶ崎(あいりん地区の旧称)の夏祭りで買ったTシャツです。
 
釜ヶ崎の夏祭りは野宿者支援の祭りで、「野垂れ死ぬな」の言葉も70年代に当時の活動家が残した言葉だそうです。言葉は何やら物々しいですが、他に何の楽しみもない釜ヶ崎(あいりん地区)では、三角公園で開催される夏の盆祭りと冬の越冬祭りが、労働者にとって貴重な娯楽となっています。それは私も同じで、一人暮らしでも正月に雑煮が食べられるのは、この祭りで行われる餅つき大会のおかげです。
 
このTシャツは、その夏祭り会場で1着2千円で購入しました。値段だけならもっと安いTシャツが他にありますが、生地がしっかりしていて購入後2年経た今もヨレヨレにならないので、今も重宝しています。
 
しかも、このTシャツの効能はそれだけではありません。コミニュケーションツールとしても機能しています。あいりん地区も外国人観光客が来るようになってからは大分変わりましたが、それでも元はスラム街。ホームレスや日雇い労働者と一般住民の間には、目に見えない壁があります。
 
一般住民が道を歩いていて、たまたまホームレスや日雇い労働者と目が合っただけで「何メンチ切ってんねん」と言われる事も珍しくはありません。しかし、このTシャツを着ていたら、そんな緊張感も不思議と解消してしまうのです。普段はよそ者には声も掛けない日雇い労働者も、このTシャツを見た途端に「兄ちゃん、そのTシャツ、カッコいいな!」と、向こうから声を掛けて来るのです。
 
それは競馬場やウインズの雰囲気ともよく似ています。これらの施設も、鉄火場だけあってゴミは散らかり放題。相手と偶然目と目が合っただけで「何メンチ切ってんねん!」と言われかねない殺伐とした雰囲気が漂っています。
 
しかし、そんな場所でも競馬新聞を片手に持っていたら、反応が全然違うでしょう。新聞片手に「ああ、すってしまった。○ー○さえ買っておけば当たっていたのに…」と呟いても、「何メンチ切ってんねん!」と言う人は一人もいません。逆に「おお、兄ちゃんもそうか!ワシもそうやったんや!」と、見ず知らずの人とも自然に会話が生まれ、場合によっては帰り道で一緒に酒を酌み交わす仲になったりする事もあるのです。(但し、それをネタに近寄って来るノミ屋やコーチ屋も多いので、注意しなければなりませんが)
 
要するに「中間」が無いのです。「何メンチ切ってんねん!」か、「兄ちゃんもそうか!」のどちらか両極端で、その「中間」がない。だから、「何メンチ切ってんねん!」だけでなく「兄ちゃんもそうか!」も、変に馴れ馴れしく鬱陶しく感じる事があります。
 
私の今住んでいる所も、あいりん地区の近くです。周辺にはドヤ(簡易宿泊所)だけでなく一般の民家や商店も多くありますが、それでも夜遅くまで喧騒が絶えません。新型コロナ感染防止の営業自粛で、ほとんどの居酒屋が休業したり営業時間を短縮したりしましたが、それでも相変わらず深夜まで営業している居酒屋やバーもあります。そこからは今でも時折罵声が聞こえて来ます。
 
でも、それも慣れれば気にならなくなりました。冷淡、他人行儀で何考えているか分からない「中間」よりも、この「両極端」のコミュニケーションの方が、表裏がない分、逆に取っつきやすいのです。私も初めてあいりん地区に来た時は、その「両極端」ぶりに驚かされましたが、今では「中間」の余所余所しさよりも、よっほど居心地よく感じています。

今、新型コロナの件で、行政の外出自粛要請に従わない個人を叩いたり、営業自粛要請に従わない業者を叩く「自粛警察」行為が横行しています。しかし、本当に叩かなければならないのは、自粛要請に従わない個人や業者ではなく、自粛に見合う補償を出し渋る政府の方です。持続化給付金や10万円給付金も、国民が声を上げなければ政府はビタ一文出そうとはしませんでした。

そうであるにもかかわらず、本当に叩かなければならない「巨悪」を叩かず、個人や業者の「小悪」叩きで憂さを晴らし、国民の間に分断や差別を持ち込もうとする「自粛警察」などの「私刑」行為が蔓延しています。

それに対し、あいりん地区の野宿者や日雇い労働者は、警察や行政の不正、不作為に対しても、暴動という形で異議申し立てをして来ました。その野宿者や日雇い労働者も今や高齢となり、暴動も過去の遺物となりつつあります。

私は、これらの暴動や暴力を決して肯定するものではありませんが、今の陰湿な「自粛警察」行為と比べたら、過去の暴動の方が「表裏がない」だけ、むしろ「健全」だったと思います。
コメント
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