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和田岬線レトロモダン探訪記

2021年04月24日 19時23分35秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

3度目のコロナ緊急事態宣言が出て外出自粛しなければならないのは分かっていますが、西成あいりん地区のワンルームにずっとこもりっきりではさすがに気が滅入ってしまいます。そこはGoToのお零れにあやかれる金持ち連中とは区別してほしいと思います。

そこで、土曜日のシフト休みを利用して、朝早くに和田岬線に乗って来ました。和田岬線とは兵庫県神戸市の山陽本線兵庫駅から枝分かれして和田岬駅まで2.7キロの区間を走っているJRの支線です。正確には山陽本線の一部ですが、和田岬線の通称で呼ばれ本線と区別されています。

和田岬線の特徴は早朝と夕方しか電車が走らない事です。ダイヤは6時~9時台と16~21時台しかありません。その時間帯に平日や土曜日には単線を機織り運行で12~17往復していますが、日曜日は7時台と17時台に2往復しか走りません。その代わりに平日のラッシュアワーには6両編成で多い時には1時間に3~4往復もして多くの通勤客を運んでいます。

この和田岬線には以前から一度乗ってみたいと思っていました。そこで、コロナで遠くに旅行に行けなくなったので、せめて近場に息抜きに出かけようと、歯医者の予約も何もない土曜休みの早朝に、大阪から乗りに行って来ました。

土曜日の兵庫発の始発は7時3分なので、それに間に合うように新今宮を6時前に出て、7時前には始発駅に着く事が出来ました。和田岬線の改札は全て兵庫駅で行われます。和田岬線乗換専用の改札口があり、電車が走っている時間帯だけ自動改札が開くようになっています。それ以外の時間帯はホームに立ち入る事も出来ません。

やがて改札が開き、和田岬線のホームに入ると、103系の青い電車が6両編成で止まっていました。昔、環状線や阪和線で活躍した車両です。今はもうここでしか見る事が出来ません。

土曜日なので乗客はほとんどいません。でも、機織り運行の固定編成なので、乗客の少ない土日祝日でも6両編成で走っているのです。それでも黒字路線なのですから大したものです。地下鉄海岸線も和田岬に通じるようになり、乗客の3割がそちらに流れるようになりましたが、それでもまだ1日1万人も輸送しています。ダイヤ本数こそJRの方が圧倒的に少ないですが、その代わりに乗換えの手間や所要時間はJRの方が少なくて済むからです。

6両編成の内訳は前から順にクハ103、モハ102、モハ103、モハ102、モハ103、クハ103。「クハ、モハ」というのは型番です。「クハ」は運転台の付いた普通車、「モハ」はモーターの付いた普通車という意味です。「サハ」(運転台もモーターもない普通車)は1両も連結されていません。全て運転台やモーター付きの馬力のある車両で編成されている所にも、この路線がいかに多くの通勤客を輸送しているか分かります。和田岬線は確かに都会の盲腸線ですが、決して赤字ローカル線ではないのです。

ここで発車直前にアクシデントに見舞われました。隣の新長田駅で人身事故が発生した為に、JR神戸線(山陽本線・東海道本線)だけでなく和田岬線も運行がストップしてしまったのです。既に乗客の大半が振替輸送に誘導され、ホームに残ったのは私以外にはテツ(鉄道趣味)夫婦とオタク男性の3名だけになってしまいました。やがて運転も徐々に再開され、1時間10分遅れの発車となりました。

電車は兵庫駅を抜けると、鉄道車両を製造している川崎重工兵庫工場への引き込み線の前を通り、兵庫運河にかかる和田旋回橋の上を渡ります。そうして約4分ほどで、終点の和田岬駅に到着しました。

改札業務は全て兵庫駅で行われますので、和田岬駅には改札がありません。以前はあった駅舎や待合室も撤去され、今は1面1線の棒状プラットホームがあるだけです。ホームから先は道路に直接繋がっています。ホームの途中にも道路に降りる階段が設置されています。トイレもありませんが、コンビニのファミリーマートが併設されていて、このファミリーマートでトイレを借りる事が出来ます。

ファミリーマートの外壁に和田岬線のイラストと、開通のいわれが書かれた金属製の説明板が掲げられていました。その説明文を読むと、最盛期には近くの工場や埠頭に多くの引き込み線が分岐し、途中駅もいくつかあったそうです。その多くが既に廃止され、川崎重工への引き込み線だけが残っています。

途中の旋回橋も、開通当初は船が通るたびに橋がクルクル回転し、列車は船が通り過ぎるまで待たなければならなかったそうです。今はもう電化され、運河を通る船もなくなったので、橋脚は固定されてしまいました。

帰りは和田岬駅から兵庫駅まで線路沿いの道を散策し、旋回橋と川崎重工への引き込み線の前で電車の写真を撮りました。電車の走る時間帯が限られているので、最初はうまく撮れるのか不安でしたが、2ヵ所とも結構良いアングルで写真が撮影出来ました。帰りの兵庫駅の古い駅舎の屋根や装飾が施されたビーム(架線柱の架線を吊り下げる部分)に、戦前のレトロモダンを感じました。

 

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