最初は何気ないツイッターのつぶやきから始まった。ある日の社員食堂のメニューを私がツイッターに投稿した。日頃から栄養バランスに気を配り、和食中心のメニューを注文していたら、食堂のオバチャンもそれに気付き、「煮物が好物なんですね」と答えてくれた…そんな他愛のないつぶやきだった。
ところが、知人の話によると、今やそんなささやかな楽しみすら、派遣労働者にとっては贅沢になりつつあると言うのだ。その知人の会社では、派遣労働者は、たかだかワンコインの定食代すら始末して、カップ麺だけ、おにぎりだけ、果ては缶コーヒー一本だけで昼食を済ますようになってしまったそうだ。その為に、社員食堂の利用者が減り、食堂は閉鎖に追い込まれてしまったそうだ。
それは私にとっても決して他人事ではない。昔は私にもそんな時期があったからだ。当時の私は午後からの勤務だった。通勤の途中でスーパーに立ち寄り、昼食を買って会社の休憩室で食べてから、タイムカードを打刻して仕事に就いていた。
その頃は給料も今より少なかったので、昼食代も削らざるを得なかった。これがその当時の昼食だ。
カップ麺1個(醤油味、みそ味、塩味、カレー味のどれか)
おにぎり1個(かつお、昆布、鮭、タラコ、おかかのどれか)
惣菜コーナーの揚げ物(コロッケ、ミンチカツ、串カツ等)
どれも百円前後で売っていたので、全部合わせても300円前後で済む。その割に、組み合わせさえ変えれば、結構色んな種類の食事が楽しめた。最初の頃は私はこのメニューが大変気に入っていた。
でも、1週間もすると飽きて来る。幾ら種類が多いと言っても、どれもこれも同じようなメニューだから当然だ。栄養も偏るし、何より気が滅入って来る。スーパーに入っても物色する陳列棚は毎日同じ。カップ麺コーナー、おにぎりコーナー、惣菜コーナーのみ。それ以外の生鮮食料品コーナーやベーカリーのコーナーに立ち入る事は一切なかった。
そんな毎日を送っていると、まるで何か目に見えない力で、自分が排除されているように感じるようになる。「お前はスーパー内で立ち入る事が出来るのは、カップ麺とおにぎりと惣菜の売り場だけだ。それ以外のコーナーには一切立ち入る事が出来ない」と。
これでは、かつての南アフリカの黒人と同じではないか。かつて人種差別政策が行われていた南アフリカでは、黒人は乾燥した居留地か場末のスラムにしか住めなかった。また、パレスチナの住民も、イスラエルに農地を奪われ、自治とは名ばかりのスラムや難民キャンプに囲い込まれている。西成あいりん地区の住民も、ドヤ街に囲い込まれ、観光客から好奇の目で見られている。カップ麺売り場などの限られた空間にしか出入り出来なかった当時の私も、それと何ら変わらない。
終戦直後の日本も、それと同じだった。焼け出された戦争孤児は、毎日食べていくだけで精一杯だった。だから、終戦直後のメーデーでは、「国体(天皇制)は護持されたぞ。朕(天皇)はタラフク食っているぞ。汝、人民飢えて死ね」と言うプラカードが掲げられたりもした。当時はまだ新憲法施行前だったので、そのプラカードを掲げた人は、不敬罪で訴えられたそうだ。
そんな事は昔の話だと、以前なら誰もが一蹴していただろう。しかし、今や社員食堂のワンコインの定食すら、手が届かない人たちが増えつつあるのだ。そういう家庭の子どもは、学校給食や子ども食堂でしか、まともな食事が取れなくなっている。一昔前には派遣切りが大問題となり、都心の各地の公園で、炊き出しが行われた。西成では今もそれが続いている。
果たして、こんな状態で「日本は先進国だ」と胸張って言えるのだろうか?私はとても言えないと思う。「タラフク食っている」奴らが天皇から、安倍晋三や自民党に代わっただけで、「食えない人たち」が今も大勢いる現状は、終戦当時と何も変わっていないではないか。
「朕はタラフク食っているぞ」のプラカードを今風に書き換えると、多分こうなるだろう。
「統一教会は護持されたぞ。自民党はタラフク食っているぞ。汝、人民飢えて死ね」
そんな中で安倍の国葬が強行されようとしている。アベノミクスで格差を広げ、円安で一部の輸出企業だけが潤い、法人税減税と規制緩和で一部の大企業だけが潤った。逆に中小企業や庶民は消費増税、物価高、コロナの医療崩壊で青息吐息。そんな世の中にした奴の国葬に、何故16億円以上も、我々の税金で賄わなければならないのか?
歴史は決して単なる繰り返しではない。一見ただの繰り返しであるように見えても、社会は確実に進歩している。もはや終戦直後のような惨状を繰り返してはならない。不敬罪のような政治弾圧を繰り返してはならない。
この9月19日も、東京では1万3千人もの人々が、台風の雨風の中を、安倍国葬反対を掲げてデモ行進した。今や岸田内閣の支持率はわずか29%。今度こそ、テロではなく米騒動のデモで、国葬ひいてはアベ政治そのものを葬むろうではないか!