数名の方からダブルワークの具体的な作業内容を聞かれたので、ちょうど1ヶ月経過したのを機に説明しておきます。尚、作業場内は撮影禁止なので、自作の上記作業レイアウト模式図を基に説明します。
今のダブルワーク先は、昼の勤め先から徒歩10分位の所にあるクリーニング工場です。そこで11月から毎週月・火曜日のみ3時間、昼の仕事を16時の定時に退勤し、しばらく会社の休憩室で休んでから、17時から20時まで働いています。時給は1,150円で、毎月末締めの翌15日支給。今月は8日間出勤したので交通費込みで34,000円位になります。
11月5日(月)が初出勤日で、5日と6日は2階の浴衣(ゆかた)ラインに入りました。模式図の①の部分です。
そこでは、ワゴンに乗った洗濯済の浴衣を乾燥機にかける工程の中で、その前処理として、浴衣をたたむ作業を担当しました。乾燥機操作係が図のオバハン含めて2名。その前で私を含む3名のパートで半乾きの浴衣をたたみました。但し、たたみラインコンベアーの定員は2名なので、新人の私は後ろの移動式作業台で浴衣をたたみ、ある程度溜まればそれをコンベヤーに乗せる事になります。
浴衣のたたみ方は至って簡単。袖を伸ばして、襟を整え、一番上のボタンを止める。これだけです。その他のボタンは止めず、丈も整える必要は一切ありません。丁寧さよりスピードを要求されます。ただ、浴衣は襟を立てる物と立てない物の2種類があります。その引き継ぎがきちんと行われず、別の種類になっても私はずっと襟を立て続けたので、乾燥機操作係のオバハンは引き継ぎ役のフィリピン人女性を叱り飛ばし、私にも偉そうに言って来ました😬。
私は短時間雇用なので小休止はありませんが、フルタイムの労働者は19時から15分間小休止でラインも止まります。しかも、先輩役のフィリピン人は19時で退勤なので、19時15分から20時までは私がフィリピン人の場所に移り作業続行しました。折りたたんだ浴衣が溜まれば、その都度、足元のポンプを踏んでコンベヤーを動かし、浴衣をオバハンの方に送ります。
翌日以降は、また別の作業を割り当てられました。図③の再洗浄ラインと図②のシーツラインです。配置場所も2階から1階に移ります。しかし、入社して間もない私は勝手が分からず、この時もしばらく2階の間をウロウロしていて、「そこ立入禁止やで!何そんなトコでウロウロしてんの!」と、作業中のオバハン連中にボロクソ言われました😬。ここでは日付とは逆になりますが、図に沿って②のシーツライン作業の説明から入ります。
尚、作業場内では土足厳禁です。ところが、私はそれを聞いておらず、翌日も早朝から仕事で上履きを買いに行く時間もないので、最初の2日間に限り、土足での作業を許可されました。そして、休み明けの3日目からは私も上履きを履いて作業しました。
しかし、図②のシーツラインでは、上履きも脱いで靴下で作業しなければなりません。その理由は直ぐに分かりました。シーツラインでは、ホテルのシーツや布団カバーを乾燥機にかけるのですが、そのシーツや布団カバーがやたら大きいのです。洗濯済で半乾きのシーツや布団カバーをワゴンから出そうとしても、なかなか引っ張り出せないので、忙しくなると、それらを先に床に放り出してから乾燥機にかけなければ間に合いません。その為に、床は靴下でも作業できる様に、清潔が保たれているのです。
シーツラインでは、私も乾燥機にシーツや布団カバーをかけなければなりません。乾燥機の構造も先日の浴衣ラインの物とは異なります。
乾燥機からは2本の爪が伸びていて、シーツやカバーを片方から引っ掛けて行きます。片方を掛けた段階でセンサーが働き、もう片方を掛けると爪が自動的に動きます。だから、最後は素早く引っ掛けて直ぐに手を離す様に指導されました。片方掛けた段階ではまだ爪を外す事が出来ます。もし何かあれば上の非常停止ボタンで乾燥機を緊急停止させる事も出来ます。それでも最初は乾燥機にかけるタイミングが分からず、手を危うく乾燥機に巻き込まれそうになりました😰。
厄介なのは布団カバーです。布団カバーの袋の口を下にして乾燥機にかけなければならないのですが、最初はその口を探すのに苦労しました。何せ物がデカイですから。それに対し、シーツは一反木綿みたいな一枚物で、リバーシブルで表裏の指定もないので、楽に機械に掛ける事が出来ました。後半になると機械がよく止まりました。
図③の再洗浄ラインは図②のシーツライン後方にあります。その更に後ろにある洗濯機ラインから、再洗浄が必要だとはねられた衣類が、契約先のホテル別に、ワゴン別に乗せられて送り込まれて来るので、それを再び洗濯機にかける前に、ひたすらほぐして(折りたたまれた衣類を広げて)空のワゴンに移し替えるのです。移し終わったら、ホテル名が書かれた立て札も付け替えて、隣の再洗浄品待機ラインに送ります。
最初の段階ではまだ待機ラインとの境界には何もありませんでしたが、後になるとその間に間仕切りが作られ、スイングドアを開けてワゴンを送り込まなければならなくなりました。待機ラインは汚染区域として、退出時には備え付けのアルコールで手指消毒するように注意標識が掲げられていましたが、事前説明が何も無かったので、最初のうちは消毒せずに、そのまま出入りしていました。
この作業は、それまでの作業とは違い、単独での手作業なので、自分のペースで作業できます。19時から15分間の小休止の時間には、他のラインに配属されていた短時間雇用のバイトも、ラインの機械が停止している間、再洗浄ラインに応援に来ます。今までネパール人の女の子と高校生の男子2人が応援に来ました。この高校生2人が、初日の浴衣ラインのオバハンを除けば、今までの中で唯一の日本人です。
後はもうこの3種類の作業の繰り返しです。同じ作業の繰り返しですが、週2日でたまにしか入らないので、シーツを乾燥機にかける際の勘が鈍っていたりして、勘を取り戻すまで少し時間がかかりました。
ところで、ここで働く外国人バイトの日本語会話力も、昼の勤務先と大差ありません。日本語はほとんど片言しか喋れません。それでも作業がスムーズに進むのは、機械化・マニュアル化が昼の勤務先とは比べ物にならない程、進んでいるからです。私の会社も、外国人を雇用する以上は、もっと機械化・マニュアル化を進めて欲しいと思います。
でも、これは両刃の剣で、余り機械化・マニュアル化を進めると、チャップリンのモダンタイムスみたいな働き方になってしまいます。幾ら時給が高くても、ひたすら「たたむ(浴衣)」「掛ける(シーツ)」「ほぐす(再洗浄)」だけの仕草を1日8時間フルタイムでやらなければならないのかと思うと、少し考えてしまいます。勿論、この他にも別の作業はあるでしょうが、他の作業も恐らくこんな感じでしょう。
そして、ダブルワーク終了後は夜型の生活スタイルになります。それまで朝型勤務で、夕食も17時台や18時台に摂っていたのが、いきなりダブルワーク終了後の21時台に摂ることになります。食べた後は翌日早朝からの勤務に備え、もう直ぐに入浴、就寝となるので、食べた物が消化しきれず、胃に残り身体にもたれます。その為、ダブルワーク期間中やその翌日は普段以上に身体が重だるいです。
しかも、ダブルワーク先はクリーニング工場で暑いので、今でも作業場では半袖のポロシャツです。11月初旬まではスポットクーラーが稼働していました。しかし、季節はもう冬になろうとするのに、いつまで半袖のポロシャツを着なければならないのでしょうか?制服はこのポロシャツだけで、下のズボンは私服なので、もう2階の更衣室まで行かずに1階のロッカールームで着替えています。しかし、ローカールームは吹き抜けになっているので、さすがに冬は寒いです。いつ冬の制服を支給してくれるのでしょうか?また、夏の構内温度は逆に摂氏40度ぐらいになるかも知れません。酷暑もさる事ながら、昼の冷蔵庫作業との温度差に果たして耐えられるかどうか不安です。
それでも、今までの1日5時間、18時から22時までのダブルワークと比べたら、まだはるかにマシです。何よりも、ダブルワーク勤務地が昼の勤め先と目と鼻の先で、移動に時間がかからず、支給された交通費を丸々浮かす事が出来るのが有難いです。そんな好条件のダブルワークはまず無いので、当分はこの仕事を続けるつもりです。
でも、本当はこんなダブルワークなぞ誰がしたいものですか。わざわざダブルワークなぞしなくても済むように、毎日8時間働いたら誰でも普通の生活が出来るようにして欲しいです。それとも、安倍政権のスローガンである「1億総活躍」とは、「死ぬまで働け」という事なのでしょうか?もし、そうだとしたら、ナチスの強制収容所とほとんど変わらないと思います。
今、政府は外国人で人手不足を補おうとしていますが、順序が逆です。人手不足に陥るのは、まともに働いても食べていけないからです。だったら、外国人に頼るよりも、まともに働きさえすれば誰でも食べていけるようにするのが先です。それをせずに、安易に外国人に頼ろうとしても無駄です。まともに働いても食べていけないような会社に、一体誰が来るでしょうか?今、騙されて来ているベトナム人も、食っていけない事が分かれば、遅かれ早かれ逃げ出すでしょう😠。