アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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プレカリアート家の安倍晋三

2017年08月09日 09時49分00秒 | 当ブログと私の生い立ち
再び私が家を出るに至る経過
2017年8月9日 プレカリアート

★8月2日(水)17時21分に、私から親父に送ったメールと添付写真

今、◯◯駅◯◯の中。これから帰る。今日、難波の黒門市場で観光客に撮って貰ったこの写真を、■■会に出す身上書に添付する事にする。既に、◯◯の中にあるカメラのキタムラで、身上書のサイズに合わせて現像して貰った。これは特注サイズになるので1枚400円近くしたが、身上書とは別の6枚の写真については別にサイズの規定もない様なので、こちらは1枚37円で現像できる既存のL版(身上書写真よりも少し大ぶり)で仕上げようと思う。(※写真は下記参照)

★8月6日(日)夕方、帰宅前に親父と交わしたメールのやり取り

(親父から私へ)
Re:
今夜は夕食ビフテキ~うまく出来るかな
帰ってからする

(私から親父へ)
分かった。婚活の身上書、添え書も書けたで〜。但し、写真は、原本で提出しなければならない場合も想定して、ベタッと貼らずに、両面テープで直ぐに剥がせる様に貼った。

★8月6日夜、自宅での親父とのやり取りの概要

 夕食後、実家2階の自分の部屋でくつろいでいると、親父が私を呼ぶ声がして、私は1階の親父のいる部屋に降りて行った。
 親父が私を呼んだ用件は、前述の■■会に提出する身上書の内容についてだった。
 「■■会」と言うのは、親父が1948年(昭和23年)に卒業した◯◯大学の同窓会の名称だ。その同窓会組織が、会員サービスの一環として、会員とその子息に対し、仲人(結婚相談室)の仕事も格安で請け負っていた。
 親父は、その■■会の結婚相談室に提出する身上書の内容が拙いので書き直すよう、私に指示して来たのだ。

 親父は、まず、「年収欄」の「年収200万円」との記載に対して、「これでは余りに少な過ぎる。これでは誰も嫁に来ないから、金額をもっと上乗せするように」と言って来た。
 私も、その点については薄々自覚していたので、ある程度下駄を履かす事については了承した。
 ただ、その時に親父が言った下記の物言いに対して、非常に違和感を覚えた。
 何と親父は、「私が将来もらえるであろう個人年金の額や、親父が私名義で運用している株式の資産額なども、年収欄に計上しろ」と言って来たのだ。
 しかし、年収はあくまでも、一年間の収入にしか過ぎない。資産とはまったく別物だ。
 それに対し、親父の言っている事は、いわば「損益計算書の収支欄に、貸借対照表の資産や負債も計上しろ」と言うようなものだ。「本来、比較の対象にすべきではない別物の数値を計上しろとは、親父はまた何と非常識な事を言うのか」と、その時、非常に奇異に感じたのを覚えている。

 その次に、親父は「家族欄も、親父や兄貴、妹の名前だけでなく、亡くなった母親や兄貴の嫁、妹の旦那の名前も書け」と言って来た。
 でも、普通は、婚活のプロフィール欄に家族として書くのは、直系親族までだと思っていたので、この点についても非常に奇異に感じた。
 身上書の家族欄には、記載者の生年や最終学歴(出身校)も全て記入しなければならない。直系親族の範囲までなら、生年月日や最終学歴もすぐに書ける。でも、それ以外の妹の旦那あたりまで家族欄に書かなければならないとなると、そんな事まで一々知っている訳がないので、直接当人に問い合わせなければならない。
 冠婚葬祭の時ぐらいしか会わない相手に対して、いきなり電話して、そんな事を聞かなければならないのは、正直言って億劫だ。それでも親父は「聞いたら良いじゃないか」と、事も無げに言う。
 その上、身上書に記入する記載者の並びも変わってしまうので、全部一から書類を書き直さなければならない。段々、書くのが面倒くさくなって来たのを覚えている。

 しかも、この辺りから、親父の物の言い方が、次第に興奮気味で威圧的な物に変わって来た。
 「別に今そこまで書かなくても、私の書いた内容で■■会に一旦提出した後に、同窓生(親父)とその息子同伴で、正式に会員登録に■■会事務局に赴いた際に、事務局の人に相談して、必要に応じて書き直せば良いではないか」と、私が言っても、親父は聞く耳を持たず、自説に固執し続けた。

 そして、決定的だったのが、「私服の写真では、まるで遊び人みたいだ。家族全員が写ったこの写真と差し替えろ」という親父の発言だった。これには、さすがに呆気に取られた。
 何故なら、私が最初、「身上書に載せる写真はスーツ姿が定番だが、俺はそんな形式ばった格好は性に合わん」と尻込みしていたのを、「婚活なんてプライベートな物なんだから、別に私服の写真でも良いんじゃないか」と言っていたのは親父の方だったからだ。それなのに、今まで言っていた事と正反対の事を今になって平気で言うとは…(呆)。そのたびに振り回されたのでは、もう堪ったものではない。
 おまけに、添え書(身上書とセットで出す書類で、写真はこちらに貼る事になっている)に貼る写真は縦長でないといけないのに、親父の出してきた写真は、何と横長サイズだった。
 「これでは、写真だけ横向きに貼らなくてはならない。それでは余りにも不自然だ」と私が言っても、「横向きに貼れば良いんだ」「お前はわしの言う通りにすれば良いんだ」の一点張りで、もう完全に聞く耳持たずだった。
 「遊び人の私服写真」よりも、むしろこちらのほうが、よっぽど不自然ではないか。


私が最初に撮ってもらった写真(左)と、親父がこれと差し替えるように言ってきた写真(右)

 第一、婚活するのは、あくまで私であって、家族なんかではない。しかも、その写真の中央に写っているのは親父で、家族は私も含め、その周りを取り囲むようにして写っている。そんな写真を貼ってしまったら、一体誰のプロフィールか分からなくなるじゃないか。親父は「他の家族と区別したければ、自分の頭上に何か目印を施せば良いではないか」と言うが、何故わざわざ、そんな事してまで、せっかく私が撮ってきた写真を、家族の写真と差し替えなければならないのか?
 そこまでしてまで、家族の写真にばかりこだわるのは何故なのか?やはり親父は、戦前の「家制度」中心の発想をいまだに引きずり、「息子の婚活についても、仕切り役はあくまで親の俺だと言いたいのか?」と、勘ぐりたくもなる。

 現代のファミリーとは違い、戦前の家族制度の下では、家族の間にも序列が厳然と存在した。
 戸主の夫が一番偉く、財産を相続できるのも長男だけだった。その制度においては、次男坊以下は「ただの一兵卒」「使い捨ての消耗品」でしかなかった。女性に至っては「ただの産む機械」としか見なされず、参政権すら与えられていなかった。天皇を頂点とする、このような制度の下では、今のような個人主義や男女同権の発想は、ほとんど広まらなかった。
 戦後になって、ようやくそんな世の中から抜け出し、曲がりなりにも民主主義社会となり、そこからもう70年以上も経つのに、いまだに親父は、そんな戦前の大日本帝国の頃の発想から抜け出せないのかと、自分の親ながら情けなくなった。

 今の内閣総理大臣をやっている安倍晋三も、そんな親父みたいな人間だ。頭の中にあるのは、祖父の岸信介(元A級戦犯)が生きた戦前日本への憧れだけ。しかも、政治家の二世議員として苦労知らずに育ったせいか、人の痛みが分からない。だから、数年前に、最初に残業代ゼロ法案を国会に出してきた際も、「残業代が支給されなくなったら、労働者はむしろ早く帰るようになるだろう」と、労働者が最低限の人員でサービス残業を強いられている現状もわきまえず、能天気な事が言えるのだ。そして、労働者を単に人材(モノ)としてしか見る事ができず、電通の過労死事件があった後も、全然反省せずに同じような法案(「高度プロフェッショナル職」創設法案)を性懲りもなく提出できるのだ。

 安倍は、安保法制や共謀罪法案の審議においても、野党の質問には何らまともに答えず、居直りや逆ギレに終始し、強行採決を繰り返して来た。憲法改正論議においても、仲間内では、単に憲法9条改正だけでなく、国民主権や基本的人権、平和主義の思想そのものまで敵視し、「家族の尊重」義務まで国民に課すような改憲案を党内に提示している。そのくせ、国民向けには「憲法9条もそのまま残し、自衛隊の規定を書き加えるだけだ」と、それまでの党内議論とも異なるウソを平気でつく。そして、「アベノミクス」なる株価バブル演出の粉飾決算みたいな手法で、国民を煙に巻いてきた。

 コロコロ言う事を変える。矛盾を突かれたら直ぐに子どもみたいに逆ギレする。自分の言いなりになる人間は、加計学園の理事長のように可愛がるが、自分に刃向かう人間に対しては、森友学園の籠池・前理事長みたいに晒し者にする。安倍信者だった籠池を反安倍に追いやった自己保身への反省もなく。二言目には北朝鮮や中国の脅威を言い募りながら、理想とするのは北朝鮮と同じ戦前のような世の中。人権とか民主主義とか、少しでもリベラルがかった事を口にしようものなら、すぐに逆上して頭ごなしにアカ呼ばわり。その挙句に、東京都議選で惨敗に追い込まれても、謝罪の席ですら野党にその責任をなすりつけ、自分に都合の良いように解釈し、それを反省と開き直る…。まさにウチの親父と、論理展開がそっくりじゃないか!

 そこで私が、「婚活するのは、あくまで私個人であって、家族ではない」と言った途端に、親父はまた逆ギレして、「もう勝手にせえ!」と突然怒鳴り出し、その写真を放り投げてしまったのだ。
 私の方は、普通に自分の意見を言っているだけなのに。思い通りにならないと、直ぐに子どもみたいに逆切れする親父の方が、よっぽど「勝手」じゃないか!…憤りは頂点に達した。
 親父も、さすがに逆ギレしたのは拙いと思ったようで、後で2階の私の部屋に上がって来て、「別に今の写真でも良い」と言ったが、謝罪もしない親父に対して、怒りは一向に収まらなかった。

 親父との間には、昨年も婚活を巡って、同じようなトラブルがあり、それを契機に、私が一時家出にまで至った事があった。それ以外にも、親父とは色々あったので、8月7日(月)午前6時半頃に、親父に下記のショートメールを送信し、また実家を出る事にした。もう今度は二度と実家には戻らないつもりだ。このままでは、いくら親父が反省や謝罪を口にし、私が親父と和解しても、また前回や今回みたいな事が繰り返されるだけだからな。何故、親父が私から「毒親」と呼ばれるのか、親父はいまだに理解できないでいる。

★最後に親父に送ったメール

 結婚キチガイの親父へ。
 昨夜の一件で、親父が昨年の事件に対して、反省は言葉だけで、実際は全然変わっていない事がよく分かった。
 こちらは普通に冷静に話しているのに、親父は直ぐに逆ギレし、一方的に自分の意見ばかりまくし立て、人の意見を全然聞こうとしない。
 その癖、都合が悪くなると、直ぐ「親子だから話し合えば分かる」と泣き落としにかかり、親子の繋がりをまるで免罪符のように、自分にとって都合よく利用する。
 そんな中においては、まともな会話なぞ成立するはずがない。それで、いつも俺の方が譲歩して来た。
 もう、そんな下らない事で神経をすり減らさなければならないのは沢山だ。(続く)

 (続き)
 結婚するもしないも、個人の自由だ。そして、どんな人間にも人権があり、自由・平等に生きていく権利がある。その権利は、たとえ親であっても犯す事は出来ない。
 こんな当たり前の事も分からず、お互いよい大人になっても、未だに親父は俺のやる事や生き方にケチを付け、一々指図がましく干渉して来る。もうウンザリだ。
 婚活も、昔は好きでも嫌いでも無かった。しかし、今の様に、一々親父の顔色を伺いながら、親父の言う通りに動かなければならない婚活なら、もう二度としたくない。■■会に出す書類は、身上書も含め、全部破棄した。(続く)

 (続き)
 今度という今度は、親父が本当に変わらない限り、絶対に実家には帰らない。もう口約束だけではダメだ。「もう二度と、息子の生き方に干渉せず、息子の自由や人権を侵害しない。もしそれが出来なければ、親父の方が実家を出る」という位の内容で、誓約書として提出しない限り、実家には帰らない。(終わり)

★参考資料(別紙)(※いずれもネット非公開)

 ■■会の結婚相談室に提出予定だった身上書(添え書)
 私が親父に書かそうと思っている誓約書の文案
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