共産党が議席を前半の都道府県議・政令市議選で2割も、後半の市町村議選でも1割減らした今回の統一地方選挙。私がかつて住んでいた大阪府高石市の市議選でも、共産党は大きく得票を減らしました(参考記事)。その得票減は決して一過性のものではなく、構造的な要因によるものである事が、この20年来の得票推移で明らかになりました。(以下、市議選施行年、定数/立候補者数、投票率、共産党候補の票数、順位をリストアップ)
https://go2senkyo.com/local/jichitai/2406
1999年 17/22 69.32%
鈴木七重 1,922 2位当選
小谷 喬 1,465 9位当選
阪口孝雄 1,306 14位当選
出川康二 1,010 17位当選
今から24年前の1999年の市議選の時は、私も高石在住、いずみ生協在職中の共産党員で、鈴木さんのビラを近所でポスティングしたりしていました。選挙でも鈴木さんに投票しました。ちなみに、この時にトップ当選したのが、当時はまだ一介の市議に過ぎなかった阪口伸六氏でした。
2003年 17/18 73.48% 按分票は切り捨て
阪口孝雄 2,413 4位当選
出川康二 1,941 7位当選
福島恵子 1,755 9位当選
その次の2003年市議選の時は、私は既に生協を退職し求職活動中で、地域の共産党居住支部で活動中でした。選挙では共産党の誰かに入れたと思いますが、誰に入れたのかもうはっきり覚えていませんw。この時に同時に施行された高石市長選挙で、阪口伸六氏が初当選しました。この初当選については居住支部でも盛んに話題で持ち切りだったのを覚えています。
2007年 17/19 61.58%
西内 正 1,610 8位当選
出川康二 1,409 14位当選
2007年市議選あたりから共産党の凋落が始まりました。投票率と共に共産党の得票もガタッと減っています(6109→3019票に半減)。この時に市議にトップ当選したのが、当時無所属で出馬していた畑中政昭氏でした。橋下徹が大阪府知事に初当選したのが2008年ですから、この時はまだ「維新の会」(以下、維新と略す)は登場していません。一体、高石の政界に何が起こったのか?
この前後に私は共産党を離党しました。離党理由は、意見の違いやパワハラなんかではなく、今の会社に契約社員として採用され、勤務シフトの関係で党の支部会議に参加できなくなり、党費未納が続くようになったからです。但し、共産党の活動にも以前ほど魅力を感じなくなっていたのは事実です。でも、地域には共産党の知り合いもまだ大勢いたので、ボランティアでビラのポスティング等は続けていました。
その後も共産党は高石市議選で得票を減らし続けています。私も2017年8月に親父と喧嘩して実感を飛び出してからは、高石の知人との繋がりもなくなり、地元の情報も入らなくなりました。
2011年 17/21 60.00%
出川康二 1,494 8位当選
明石宏隆 1,161 14位当選
2015年 16/21 52.47%
出川康二 1,196 10位当選
明石宏隆 1,108 12位当選
2019年 16/19 52.31%
明石宏隆 1,045 13位当選
松田亜季 1,001 16位当選
2023年 15/22 56.53%
松田亜季 903 13位当選
明石宏隆 798 14位当選
最盛期には4人の議員団を抱え、党の得票も5~6千票あったのに、直近の市議選では2人合わせても1701票しか得票出来ず、本当に首の皮一枚繋がったような状態で、ようやく最下位当選。もう目も当てられない惨状です。
ここで改めて気が付いたのですが、共産党のベテラン議員の後を継いだ新人議員がいずれも一期で辞めています。鈴木七重氏、福島恵子氏、西内正氏しかり。これらの議員の活動実績についても、私の頭の中には余り記憶に残っていません。まだ党と何らかの繋がりがあった当時の私ですら、そんな状態なのですから、一般の有権者にとっては尚更です。
他方で、維新躍進の中でも、選挙のたびに得票を伸ばし、上位当選し続けている議員もいます。木戸あきら・山敷めぐみの両市議です。この両氏は2人で「市民の声」という会派を作って議員活動されています。そして、周辺他市の市民派議員とも交流され、コンビナート防災や水道事業の府市統合問題に取り組んでおられます。過去にはそれぞれ阪口市長の対抗馬として市長選に出馬された事もあります。この時の市長選では、どちらも阪口市長に負けはしましたが、多い時は1万票以上の得票を得ています。「市民の声」の会派自体も、どちらかと言うと維新の進める公務員のリストラや民営化推進政策には批判的で、時には共産党と共闘したりもしています。
過去に市長選に出馬しただけあって、私もこの2人の議員については、名前を聞いたことはあります。2人とも公式ウェブサイトを運営されており、フェイスブックだけでなくブログやツイッター、ユーチューブ、議員通信などでも積極的に情報発信されています。だから、今もどの政党にも属していないにも関わらず、維新が躍進した今回の地方選挙においても、市議選では得票を伸ばし続け、上位当選し続けているのです。
2015年 16/21 52.47%
木戸あきら 1,503 5位当選
山敷めぐみ 1,429 7位当選
2019年 16/19 52.31%
木戸あきら 1,702 3位当選
山敷めぐみ 1,512 6位当選
2023年 15/22 56.53%
木戸あきら 1,691 5位当選
山敷めぐみ 1,632 6位当選
翻って前記の共産党市議はどうか?発信媒体はフェイスブックだけで、他の媒体については全然使いこなせていません。フェイスブックだけでは情報伝達力は限られます。それに、いくらネット全盛のご時世と言えども、ネットを使わない人も決して少なくありません。そういう人には、紙媒体の議員通信や街頭宣伝で、自らの政見や活動報告を伝えなければなりません。
少なくとも、木戸・山敷の両市議については、日頃どういう活動されているのか、公式ウェブサイトを見れば分かります。ところが、明石・松田の両市議は、どちらも共産党議員であり、「しんぶん赤旗」などの媒体や民商(民主商工会)などの人脈を使えば、諸派の議員よりもっと多くの情報を伝達できるはずなのに、一向にそれらを使いこなしているようには見受けられません。
明石さんは54歳の男性で、議員になる前はガソリンスタンドでアルバイトをしていたと聞きました。松田さんは39歳の女性で、幼稚園PTAの会長もされていたと聞いています。特に明石さんなぞは非正規雇用の経験もあるのですから、非正規労働者の気持ちも分かるはずです。「維新の会」の市議には非正規雇用の経験者なんてほとんどいません。女性の市議も皆無です。そういう意味では、少なくとも維新の議員よりは非正規労働者や女性の気持ちが分かるはずです。なのに、何故、木戸・山敷の両市議のように、コンスタントに得票を伸ばし続ける事が出来ないのか?
維新躍進の影響を受けているのは木戸・山敷の両市議も同じです。でも、この両市議は、その影響下においても、得票をコンスタントに伸ばし続け、今も上位当選を果たしています。共産党も2008年前後まではそれなりに得票していた訳ですから、「ソ連・中国の悪いイメージから来る共産党アレルギー」だけでは凋落の説明が付きません。かつて共産党の幹部だった松竹伸幸さん・鈴木元さんが先日相次いで党を除名された影響も勿論ないとは言えませんが、それがいきなり小都市の一市議選にまで直接響くとも思えません。
共産党の票が維新に流れているのは事実ですが、それはあくまで結果論です。では、何故、共産党の票が維新に流れるようになってしまったのか?言い換えれば、有権者は自民党政治からの転換を、何故、共産党ではなく維新に託すようになってしまったのか?かつての「革新政党」の伝統や実績の上にあぐらをかき、こまめな日常活動を怠って来たからではないでしょうか?フェイスブックでしか情報発信しない。議員通信も出さない。だから知名度もない。新人議員の育成もうまくいかず、ひどい場合は1期だけで使い捨て。これでは得票が大きく目減りするのも当然です。
ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所です。
今回の記事も拝読しました。
ところで、プレカリアートさんにぜひ見てほしいネット記事があります。
https://note.com/oono_chiba/n/n7d5f19f243dd
「日本共産党中央は、選挙で勝つ気がない」
千葉県の共産党で活動していて、今年初めに党から除籍(機関からの罷免)された「大野たかし」さんのnote記事です。
私もこの記事に同感です。
共産党中央にとっては国政・地方選は結局「党の知名度」をはかるバロメーターでしかありません。
だから基本的には党の候補者は「鉄砲玉」ですし、各選挙総括においては「衆議院と参議院」「国政選挙と地方選挙」などと性質の違う選挙結果との比較をするわけです。
私もこの方の記事をもとにブログ記事を作成するつもりです。
それではまた。