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トロッコ道で遭遇した謎のジェットコースター

2023年05月05日 21時03分51秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

ゴールデン・ウィークで世間は休みですが、あいにく私は通常勤務です。せめて5月6日(土)・7日(日)ぐらいは有休取って一泊二日でどこか旅行に行こうかと思っていましたが、天気予報では両日とも雨模様なので旅行は諦めました。その代わりに、5月3日(水)の公休日に、昨年歩き残した高野山トロッコ道(森林鉄道跡)の高野下から九度山までの区間を歩いて来ました。

南海高野線の特急「天空」で、まず先に九度山まで行きました。特急と言っても、4両編成のうちで座席指定券を買わなければ乗れないのは前の2両だけで、後ろの2両は自由席です。その上、「天空」の走る橋本・極楽橋間は単線で、トンネルと急カーブが連続する区間なので、スピードは普通電車とほとんど変わりません。おまけに、窓も広いので、自由席でも十分、外の景色を堪能出来ます。

九度山駅に着いたら午前11時前だったので、11時にオープンする「おむすびスタンド・くど」で、おむすびのランチを食べようと、列の前に並びました。同店は九度山駅上りホームに併設されたおむすびスタンドです。窯で炊いたおむすびが好評で、休日ともなると店の前には長蛇の列が出来ます。

しかし、並んでから15分経ってもなかなか前に進みません。私はもう「くど」で食べる事は諦めて、駅の外に出て、町の中にある「いこい茶屋」でランチを食べる事にしました。同店は地域の主婦が町おこしの為に始めた休憩所兼カフェ・売店です。カフェ・売店と言っても郊外の道の駅とは違い、うどんやカレーなどの簡単なメニューしかありません。しかし、値段も安くて真心のこもったもてなしをしてくれるので、私は九度山に来たら必ずここに立ち寄ります。

今日はここでカレーを注文しました。カレーには手作りのこんにゃくが付いています。私は大阪のスーパーで買うおでん用のこんにゃくしか知らないので、手作りこんにゃくの美味しさにビックリ!食後のコーヒーにもクッキーのデザートが付きます。これでカレーが600円、コーヒー250円!おむすび1個だけでも250円以上もする「くど」とは大違いです。

九度山から先は山間の秘境駅ばかりなので、飲食店はほとんどありません。なので九度山で早めに昼食を済ませました。九度山町は戦国時代の武将、真田幸村(本名は信繁)が関ヶ原の戦いに負けた後、徳川家康に命じられて、次の大坂冬・夏の陣に出陣するまでの14年間、謹慎させられていた所です。それをしのんで5月4日・5日には真田まつりが盛大に行われます。町はその準備に追われていました。私はあいにく当日は仕事で参加できないので、開催中の「町家の人形めぐり」で、軒先に飾られた各家庭のひな人形を堪能して、町を後にしました。

当初はこの後、次の高野下駅で降りて、高野山トロッコ道ハイキングコースの中で、まだ歩いてなかった九度山までのコースをたどるだけで帰ろうと思っていました。しかし、下記のブログを読んでいるうちに考えが変わりました。このブログによると、廃道をたどれば今も残る旧トロッコの鉄橋やトンネルにたどり着く事が出来るそうです。以前来た時には、ハイキングコースから鉄橋跡の橋脚を眺める事しか出来ませんでした。

#218 高野森林鉄道跡(トロッコ道) / 柿ピーさんの高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山)の活動日記 | YAMAP / ヤマップ

このブログの通りに、私は上古沢駅を降りて、ハイキングコースとは逆向きの上手に向かって歩き始めました。しかし、どこまで行っても廃道の入口にたどり着く事は出来ませんでした。踏切を超えて、それっぽい道を進むと、道はやがて獣道へと変わります。このまま進めば遭難するおそれがあるので、私は探索を諦め、帰ろうとした矢先に、謎の施設に出くわしました。それは、まるで巨大なジェットコースターみたいな施設でした。

私はそれを見て一瞬、山間傾斜地のミカン畑でよく見かける、ミカン運搬用のモノレールかと思いました。でも、それにしては余りにも規模がデカすぎます。しかも、よくよく見たら、2本のレールの真ん中に歯車の付いたラックレールも付いています。昔の碓氷峠や今の大井川鉄道井川線にあるアプト式鉄道みたいな形状をしています。そんな「ジェットコースター」が、向こうの方まで延々と続いているのです。

鉄オタのジャンルの中には「特殊軌道めぐり」と称すべきものもあります。普段はめったにお目にかかれない貨物線、工場専用線やその廃線跡をたどるものです。鉄オタの中でもかなりニッチな分野です。もう使われているのか、いないのかも定かでない、錆び付いたへろへろ線路の先をたどれば、工場の門の中に、今まで見たこともない変な形の機関車が停まっていた…この時の私も、それをひそかに期待していました。

でも、「変な形の機関車」はついぞ現れませんでした。その「ジェットコースター」は工事用のモノレールでした。崖下の道の所に工事のクレーン車が停まっていました。その横からレールが上に延びています。軌道の上には台車と機関車が停まっていました。そして、私が通って来た道の上をまたいで、崖の上の斜面でレールが終わっていました。そこにもショベルカーが停まっていました。レールが2本(ラックレールも含めれば3本)あるこの軌道も、工事資材運搬用のれっきとしたモノレールである事が分かりました。(内田産業というメーカーのホームページに、そのモノレールの写真が載っています)

 

「変な形の機関車」にこそ出会えませんでしたが、普段目にすることのない「ジェットコースター」に出会えて、もうそれで満足です。私は次の電車で高野下駅まで向かう事にしました。橋本から高野下までは、まだ30分に1本の割で電車が走っていますが、そこから先は1時間に1本のダイヤになります。もう14時を回ったので、先を急ぐ事にします。

高野下駅のホームには昔使われていた古レールが展示されていました。古レールの一部は駅の建物の柱にも使われています。柱の古レールには1987年に米国のカーネギー社で製造された事を示す刻印も残されていました。現在、この駅は無人駅ですが、旧駅舎がホテルとして活用されています。ダブルベッド2台の「高野」、同1台の「天空」の2部屋で営業中です。どちらも元々は駅の宿直室で、当時の駅の制服や道具が今も室内に残されています。部屋からは駅構内の様子が手に取るように分かります。詳細は高野下駅舎ホテルを参照の事。

高野下から九度山までがトロッコ道ハイキングコースの未踏区間です。駅の下をくぐり、集落から一歩外に出ると、切通しが現れます。やがて車止めが現れ、ここから先は遊歩道となります。舗装も途切れ、砂利道となります。道に沿って流れる川も、これまでは高野山から流れ出てきた不動谷川でしたが、ここで丹生川(にゅうがわ)と合流し、川の名前も丹生川に変わります。この辺り一帯を竜王渓と言い、渓谷美が堪能できます。

南海高野線の丹生川橋梁の下をくぐります。橋梁のすぐ横には椎出トンネルが口を開けています。トンネルの前に渡し板のない踏切がありました。これがいわゆる「勝手踏切」なのでしょうか?但し、階段も併設されていたので、保線用の踏切の可能性もあります。

それにしても、ぬかるみの酷い事。これまでのトロッコ道ハイキングコースは生活道路として活用され、道も舗装されていました。それに引き換え、この竜王渓遊歩道は、至る所に沢の水がしみ出しており、敷石でぬかるみの中を渡らなければならない所や、屋根の上を沢水が滝となって落下している所もあります。

実は、この辺一帯は、紀ノ川に沿って、中央構造線という巨大断層が走っているのです。その関係で、地盤がもろく、台風のたびに鉄砲水やがけ崩れが起こる所なのです。さっきの「ジェットコースター」も、崖を補強するための工事用軌道だったのかも知れません。こんな所によく鉄道を敷いたものです。南海高野線や森林鉄道を建設した先人の苦労が偲ばれます。

沿道にはミカン運搬用のモノレールもありました。さっきの「ジェットコースター」とは大違いです。やがて高速道路の下をくぐると、九度山の街の中に入ります。丹生川と紀ノ川の合流地点では、巨大な鯉のぼりがはためいていました。近くの道の駅で、晩ごはんのおかずを買って帰りました。


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