新年2025年の幕が開けました。今年は蛇年ですが、私は昨年と同じ京都市伏見区の藤森(ふじのもり)神社に初詣に行きました。この神社は伏見稲荷の近くにあります。伏見稲荷ほど有名ではありませんが、ここも割と名が知られた神社で、大勢の人が参拝に訪れていました。何故、大阪に住んでいる私が、わざわざ京都の神社に初詣に来たのか?それは、ここは昔から武運長久の神様として有名だった事から、勝負運にも恵まれるようにと、競馬関係者の方が多く訪れるようになった、いわば「馬の社(やしろ)」だからです。
もっとも、最初は武運長久を祈って、単に軍馬の安全を祈願しただけだったのが、やがて「競馬の神様」としても有名になり、後付けで競馬のファンファーレが鳴る飲料自販機が置かれ、歴代GI馬の肖像画が絵馬殿に掲げられるようになったようです。私はそこで昨年買って帰って自分の部屋に飾っていた昨年の絵馬を奉納し、今年も新しい絵馬を買って帰って一年間部屋に飾るようにしました。(神社のご利益は絵馬を部屋に飾っておくだけでも有効だそうです)
そして早速一句したためました。<蛇年も 馬の社に 初詣>
俳句は今で言うX(旧ツイッター)のつぶやきのようなものですが、両者には大きな違いがあります。ツイッターにはルールも何もなく、誹謗中傷・罵詈雑言何でもありの、いわば「言った者勝ち」の世界です。それに引き換え、俳句には明確な二つのルールがあります。五・七・五の韻を踏む事と、季語を含む事の二つです。この二つのルールがある事で、ツイッターにはない季節感や奥深さ、ある種の粋さが醸し出される事になります。
年末のニュースで、西成警察署の防犯課が、地域のNGO団体と協力して、あいりん地区の労働者から俳句を集め、それをカレンダーに載せて無料配布している事を知りました。私は今まで西成警察に対しては、余り良いイメージを持っていませんでした。あいりん地区のど真ん中に、要塞のような警察署の建物を作り、これ見よがしに、労働者を威嚇する。それに怒って労働者が暴動を起こそうものなら、真っ先に鎮圧に乗り出す。その一方で、地域の暴力団やヤクザに対しては、取り締まるよりもむしろ適当に泳がせて、暴動弾圧の手先として利用している。そんなイメージでいました。
「じゃあ、労働者の暴動を肯定するのか?」と聞かれたら、それも違います。労働者の暴動についても、裏で極左の過激派が扇動して、警察とイタチごっこを繰り返しているだけだと見ていました。いわば「どっちもどっち」で、「そんな危ない所には近寄るな」というイメージでいました。少なくとも、親父と喧嘩して実家を飛び出し、あいりん地区に住むようになるまでは。
でも、その後数年間、あいりん地区に住むようになってから、そのイメージはだいぶ変わりました。最初は「近寄りがたい」と思っていた住民も、「確かにガラは悪いし、初対面の人に対しては警戒感をあらわにする」、でも「裏表がないから、一旦仲良くなれば、こちらも自分を素直にさらけ出せる」というイメージに、徐々に変わって行きました。
労働者の暴動に対しても、単に「過激派にそそのかされた」だけでなく、「路上で行き倒れても、飯場で暴力振るわれても誰も助けてくれない」中で、「助けてくれたのは『過激派』だけだった」からこそ、あんな「過激派」でも労働者からは一目置かれるようになったのだと、認識を徐々に変えていきました。
その中で、警察も労働者も、いつまでもいがみ合っているだけでは、地域でともに生きていく事は出来ない。だからこそ、警察も取り締まり一辺倒ではなく、労働者に寄り添うようになっていったのだ、俳句募集も、その一環として行われるようになったと知りました。
今年は私も、なるべく俳句を作るような感じで、記事を書こうと思います。その方が、同じ事を書くにしても、奥深さや粋さが醸し出されるように感じます。その手始めに、次回からは、なるべく記事のタイトルは俳句で締めようと思います。今後は、鉄道と競馬だけでなく、俳句も新たな趣味に加えようと思います。新年のカレンダーの句を手本にして。では本年も宜しくお願い申し上げます。