アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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民主・自民以上に「みんなの党」を警戒すべきなのでは

2010年07月09日 23時04分59秒 | 二大政党制よりも多党制
 6月28日付記事「依然としてチャンスを生かせない共産党」で、共産党の法定1号ビラについて、「幾ら正しい事を書いていても、これだけ文字ばかりのビラでは、支持者以外は誰も読まない」と、少し辛辣な事を書きました。その次に下記の法定2号ビラが出て、1号ビラと同じ地域を配布しましたが、こちらのビラについては、図表もふんだんに使われていて、なかなか良かったと思います。

 
 法定2号ビラ表面

 
 同上・裏面

 下記の法定1号ビラ両面と比較してみて下さい。同じような事を書いていても、読者に与えるインパクトが大分違うのが分かります。

  

 やはり「腐っても鯛、色々あってもそこはやはり共産党だ」「嘘とデタラメで固めた挙句に、後で必ず馬脚を現す民主党・みんなの党・立ち上がれ以下とは全然違う」・・・こと消費税値上げに関しては(そして2号ビラでは触れていないが普天間問題でも)、そう思います。

 ただ、「みんなの党」に対する批判が、相変わらず弱いように思います。確かにビラをちゃんと読めば、「みんなの党」も増税を先送りしているだけで、「値上げしない、下げすぎた法人税も元に戻す」とは全然言っていない事は分かります。しかし、消費税値上げを煽っているのが、現与党の民主と前与党の自民である以上、批判の主要な矛先がどうしても自民・民主の二党に向いてしまい、結果的に「みんなの党」以下が批判を免れる形になってしまっているのは事実です。
 これは有権者からみると、「消費税や普天間の問題ではなるほど筋を通していても、やはり選挙では勝てないし、それに日本が北朝鮮みたいになるのも嫌だから、一応現時点での消費税増税には反対している「みんなの党」に入れた方が、死票にならないだけましかも」となる可能性も当然あり得る訳です。それに対して、単に彼の党の「増税先送り」姿勢を批判しているだけでは不十分ではないでしょうか。
 私は、最終的には「みんなの党」も、新自由主義者の党として、民主・自民と一緒になって「大衆増税・金持ち減税」を推進した挙句に、国民から見捨てられる日が来ると思います。しかし、それをただ待っているだけでは、幾ら経っても政治を変える事は出来ません。ここはもっと、あの党の本質を国民に浸透させるべきではないでしょうか。

 「何故ここまで言うか」というと、日本では人権の歴史が浅く、まだまだ封建的な要素が社会から完全には払拭されていないので、国民が新自由主義を無自覚に受け入れてしまっている所があるからです。例えば、「喧嘩に負けるようなひ弱な男ではいけない」という価値観が、日本ではまだまだ優勢でしょう。そこにいきなり、「ひ弱な男にも人権がある」とか、「喧嘩なぞに頼らずもっと民主的に物事を決めるべきだ」と言ったところで、「何言ってんだ」と一蹴されかねない所が、日本社会にはあります。それが自己責任論や官尊民卑・男尊女卑、英雄待望論や「お任せ民主主義」などの形で直ぐに現れる。
 ここが欧州や中南米などの諸国と日本との違いです。なるほど新自由主義は世界中に広まっていますが、少なくとも欧州では、市民革命によって個人の人権が確立され、また社民勢力も一定の基盤を有しているので、そう簡単に賃下げや福祉切捨てを強行できないのです。また中南米でも、新自由主義者のいう「自由」や「規制緩和」が、結局は米系資本やそれと結託した軍部・封建支配層を肥え太らせるだけの、「搾取の自由」でしかない事が、理屈抜きに皮膚感覚として民衆に理解されています。だから、これらの諸国では、日本とは違い、新自由主義への抵抗も遥かに強いのです。

 ここで「ひ弱な男にも人権がある」と言うのが左翼であるのに対して、「喧嘩に負けるようなひ弱な男ではいけない」と考えるのが新自由主義(弱肉強食資本主義)の発想です。「一番(一等国)」の復活を掲げる自民党や、「強い日本」を掲げる民主党、「小さな政府」を掲げる「みんなの党」、「復古反動」路線の「立ち上がれ日本」など、悉くその発想が根底にあります。それが証拠に、石原慎太郎・橋下徹・森田健作・東国原英夫・松沢成文・上田清司・中田宏・山田宏・河村たかしから鹿児島県阿久根市のネトウヨ・ブログ市長に至るまで、上記政党を応援する政治家は、みんなこの手の弱肉強食・差別肯定論者じゃないですか。

 だから、70年代前半に革新自治体や革新政党が伸張した直ぐ後でも、今の「みんなの党」の走りみたいな「新自由クラブ」に、大都市部の共産党票が食われたりしたのです。その新自由クラブも、自民党の亜流でしかない事がすっかりばれて、やがて消滅していきましたが、その後も日本新党や自由党・新進党などが出てきたでしょう。そして、80年代に始まった中曽根行革が、90年代以降、次第に今の新自由主義となって、小泉政治で絶頂を迎える事になりました。そこまで来てようやく、新自由主義の弊害が明るみになり出しました。

 この様な「みんなの党」に対しては、もっと自覚的・意識的に批判しなければいけないのです。この法定2号ビラのように、自民党や民主党と並列に、それら二党への批判のついでに批判するだけでは不十分なのです。限られたスペースの中でも、自民・民主批判とは別枠で、「みんなの党」も批判すべきだったのに。そこだけが悔やまれます。
 今回の参院選でも、これだけ自民党も民主党も批判されているのに(保守二大政党制の矛盾顕在化)、その批判が何故、共産党に向かわずに「みんなの党」に流れるのか。そこにこそ、もっとメスが入れられなければならないのではないでしょうか。
コメント (3)
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