手製の焼きブタを、レタスの上に並べた一品です。
真ん中の一切れが、なくなっているのがお分かりでしょう。
一番最初に箸を付けた人が真ん中から食べたということですね。
皆さんなら、どこから箸を付けますか?
「状況によって違う」という声が聞こえてきそうですから状況をもう少し説明しましょう。
長男R輔が、会社の若者を3人連れて遊びに帰って来ました。
R輔が上司、一回りも年下の3人というシチュエーションです。
それに私達2人が加わって、総勢6人の食卓です。焼きブタのお皿は、同じのを2皿用意していました。
一番最初に、真ん中の焼きブタに手を出したのが夫。
そこですかさず、私が「そこから食べるの!?」とちょっと批判的な声を出すと
夫「いちばんおいしいところから食べるに決まってる」
私「そういえば、スイカを切ると必ず真ん中を食べるわね」
夫「食べてごらんよ。ぜんぜん味が違うから」
私『大体スイカを切り分けながら、私が端の始末をしてるもん。皆が真ん中を食べたら端っこはどうなるの』と心の中で思いました。
もしも、R輔が最初に真ん中の焼きブタに箸を伸ばしていたら、私はどう感じたでしょうか?
父親よりも先に一番よいところに手を伸ばしたことを非難したでしょうか?
したかもしれないし、むしろしなかったかもしれません。
その場の雰囲気が答えを決めるはずです。
バーべキュー用肉の下ごしらえ(脂身をきれいにそぎ落としたところ)byR輔
R輔にとって、自宅での食事という意識が強く働いていて、しかも同席しているお客さんは会社の年若い部下で、さらに別皿が用意されていて父親の分はそこに真ん中がある。という咄嗟の判断のもとに、「お母さんの手作り焼きブタ、おいしそう!」とでも言いながら、真ん中に箸を伸ばしたとしたら、「行儀悪い」とたしなめもせず、結構ベストチョイスだと感じたかもわかりません。
少なくとも作った私の立場では、食べることを楽しみにしてくれていると思ってうれしいですね。
こう考えると、食事のマナーも必ずこうすべきだと一概には言えず、その場の状況というものが大きく作用するものだということがわかります。
若者を交えて、大皿盛りの料理のどこから箸を付けるかで話が盛り上がりました。
「一般的な習慣としては、やっぱり端のほうからがマナーだと思う」というのが若者達の結論で、確かにこの年齢で、家庭外の席でメインゲストになるということはあまりないでしょうから、なんと常識的なお客人かと感動しました。
アジのたたき
そういう話をしていたら、丁度獲れたてのアジをいただきましたのであわててたたきにして、一皿に盛ったところです。
これを6人で取り分けていただいたのですが、一巡したときに半分近くも残っていました。
小ボケの人はおいしそうとか好物ということになると、後先考えずに一人で食べるというようなことをします。
やっぱりここにいる人全員が前頭葉を駆使して「配慮できるんだ」と再び納得。
2008年5月22日「部屋で鶏でも飼わなくっちゃあ」のところも参考に読んでみてください。
サラダ3種byR輔
最近マニュアル人間という言葉を聞きますが、ある程度まではマニュアル化できても、すべては無理。
ほんとにいろいろな状況に応じるということを、知識として教え込むことは至難の業です。
前頭葉は、知識で育つのではなくて、自分が体験し、どう評価したりされたりしたか、そして自分はどう感じたかということから育って行くことを私達は知らなくてはいけません。
スイカの件で夫の言葉に多少の疑問を感じた私でしたが
『もし私がメインゲストだとしたら、スイカの端を食べるのはかえって失礼なので、真ん中の隣ぐらいをいただくことになるなあ』とも思い至り、でも
『とてもスイカ好きの人と食べていたら、やっぱり譲るだろう』
『やっぱり状況が決めるんだ。だから前頭葉が体験を積まないと適切な判断はできない!目上の人との同席もメインゲストの体験も必要なのだ』
『子供の誕生日のケーキカットも結構意味があるかも』
舟盛り料理
『子供に舟盛りのお刺身の食べ方を教えるにしても、言葉で知識としてマナーを教えるより、食べさせてマナーを教えるほうが簡単』
『韓国は儒教精神が色濃く残っているので、同席者に敬意を払う順を即座に判断すると聞くけどそれも体験がなければ、知識だけでは無理だろうなあ』
とか、一切れの焼きブタから前頭葉が日々の暮らしの中で常に「私が私らしく生きていくための司令塔」として働いているということを、またまた納得しました。
前頭葉は子供のときから様々な体験を積んでいきながら、その人の「十人十色」といわれる色を付けていくということの理解に、このエピソードを役立ててください。
ところで、二段階方式の検査をするときに、A4版の用紙の使い方を細かく見るように注意しますね。(マニュアルA73P)
どのような人生を送ってきて、どのような前頭葉を培ってきたのかを垣間見ることになるからです。