週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

§ 日馬富士の暴力問題を受けて

2017年12月25日 14時16分14秒 | たわごと(少し硬派に振って)
私が自分のブログで貴乃花を賛美応援するブログをアップしたからと言って何の役にも立ちません、が。
それでも、少しでも沢山の日本人に理解して頂きたくてアップする次第です。

日馬富士の貴ノ岩への暴力問題が発覚した11月14日以降連日テレビのワイドショーで報道されている。
この報道を聞いた時、貴乃花に対して良い感 じは持っていなかった。
組織の責任ある一員なのに、組織人としての行動ではないと思ったからに他ならない。
組織内での調和を貴ぶ(たっとぶ)日本人社会においては違和感のある貴乃花の行動に見えた。

でも、でも、その自己の信念に忠実で相撲道を実現しようとする貴乃花親方の姿はまるで孤高の人に見えてきました。
他の人が何と言おうとも、ぶれることの無いゆるぎない信念。
組織の一員として歩んできた自分としては、初めの内は理事会や危機管理員会に対する貴乃花の態度・行動は理解できなかったし非難に値すると思っていた。
でも日本とかモンゴルとかではなく、知れば知る程今の相撲協会を本来の相撲道に戻そうとするその信念に賛同するのようになった。

相撲道に関する知識も少なかったし、白鵬を日本人以上に日本人の心を持った大横綱だと思っていた。
近年の白鵬の横綱としてのあるまじき行為など何も知らなかった。
本来、大関が大相撲の最高位であり、その上の品格を備えた力士のみに与えられる称号が横綱である事を知った。
横綱としての品格を貴ぶ貴乃花の信念を知る事が出来た。
相撲に対する心構えも、取り口も、日常の行動も横綱としての人格を求める相撲道。
個人的には大鵬と白鵬をオーバーラップしてみていて白鵬を神格化し過ぎている自分がいた。
知れば知る程、今回の事件は白鵬の横綱としての品格と貴乃花が相撲道に求める横綱との激突だと感じるようになった。

他人の非難にもめげずに自己の信じる相撲道を探求する孤高の貴乃花親方に対し最大限応援したい。


相撲道を知って、日本人の心の何処かにある価値観の武士道を思い出した。


日本人が宗教心に依らずに道徳心を持ち得ている事を諸外国に知らしめた新渡戸稲造著の「武士道の序」から引用させて頂きます。

                    序
 約十年前、私はベルギーの法学大家故ド・ラヴレー氏の歓待を受けその許で数日を過ごしたが、或る日の散歩の際、私どもの話題が宗教の問題に向いた。「あなたのお国の学校には宗教教育はない、とおっしゃるのですか」と、この尊敬すべき教授が質問した。「ありません」と私が答えるや否や、彼は打ち驚いて突然歩みを停め、「宗教なし!どうして道徳教育を授けるのですか」と、繰り返し言ったその声を私は容易に忘れえない。当時この質問は私をまごつかせた。私はこれに即答できなかった。というのは、私が少年時代に学んだ道徳の教えは学校で教えられたのではなかったから。私は、私の正邪善悪の観念を形成している各種の要素の分析を始めてから、これらの観念を私の鼻腔に吹き込んだのはものは武士道である事をようやく見いだしたのである。
 この小著の直接の端緒は、私の妻が、かくかくの思想もしくは風習が日本にあまねく行きわたっているのはいかなる理由であるかと、しばしば質問したことによるのである。
 私はド・ラヴレー氏ならびに私の妻に満足なる答えを与えようと試みた。しかして封建制度および武士道を解することなくんば、現代日本の道徳観念は結局封印せられるし巻物であることを知った。

序の後段は省略
コメント (6)
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