羽田空港を発ち、那覇空港で添乗員さんの出迎えを受けてバスに乗り最初に訪れたのがこちらの首里城公園です。
(観光で訪れている人も多いので三方面にわかれました。)
自分も二度目の首里城公園ですが有料地域をすくめて、現地ガイドさんの案内ですべて廻ることにしました。
地下の駐車場に入って以前の首里城の記憶がよみがえりました。
素晴らしい知識豊富な現地ガイドさんと合流してのツアースタートです。
でも、右から左の忘却の彼方ですから、首里城公園のホームページを参照してください。
01
黄色は高貴な方のみ着る事が許されていたとの事です。
記念撮影できる定番の所です。
守礼門を潜ります。
ご存じたとは思いますがHPから引用させていただきます。
「守礼(しゅれい)」とは「礼節を守る」という意味で、門に掲げられている扁額(へんがく)には「守礼之邦(しゅれいのくに)」と書かれている。「琉球は礼節を重んずる国である」という意味である。首里城は石垣と城門の多い城であるが、中でもデザイン上バランスがとれ、エレガントな雰囲気のある代表的な門がこの「守礼門」である。中国風の牌楼(ぱいろう)という形式で建立されている。
首里城での多数の城門や建築物には「公式の名称」の他に「別名」が付けられている。それらの呼び名から往時の琉球人の詩的な感覚が読みとれる。守礼門は古くは「首里門(しゅりもん)」ともいわれたが、庶民は愛称として「上の綾門(いいのあやじょう)」と呼んだ。「上の方にある美しい門」という意味である。
1527~55年(第二尚氏4代目尚清王(しょうせいおう)代)にはじめて建立され、1933年(昭和8)に国宝に指定されたが沖縄戦で破壊された。現在の門は1958年(昭和33)に復元されたもので、その後今日まで沖縄を象徴する観光施設として利用されている。2000年の記念紙幣2,000円札の絵柄にもなっている。
02
生憎の雨が降り出してきました。
夕立です。
上の赤い朱の門は「瑞泉門」です。
右手のカーブした所の下に「龍樋」があります。
瑞泉門の説明は引用させていただきます。
「龍樋」は、龍の口から湧水が湧き出していることからそのように名付けられた。この水は王宮の飲料水として使われていた。また、中国皇帝の使者・冊封使(さっぽうし)が琉球を訪れたとき、那覇港近くにあった「天使館(てんしかん)」という宿舎まで、毎日ここから水を運んだといわれている。
龍の彫刻は1523年に中国からもたらされたもので、約500年前のものである。
03
聖なる水の「龍樋」(りゅうひ)です。
以下は引用です。
「龍樋」は、龍の口から湧水が湧き出していることからそのように名付けられた。この水は王宮の飲料水として使われていた。また、中国皇帝の使者・冊封使(さっぽうし)が琉球を訪れたとき、那覇港近くにあった「天使館(てんしかん)」という宿舎まで、毎日ここから水を運んだといわれている。
龍の彫刻は1523年に中国からもたらされたもので、約500年前のものである。
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大型クルーズ船のショアエクスカーションのお決まりのおしゃもじです。
大人数の方が一時に上陸しますからおしゃもじの番号のバスに乗り、観光地ではおしゃもじの跡を付いて観光します。
因みに、こちらはイタリア船のコスタクルーズで観光客の方は中国人のようでした。
勿論、それ以外の方も乗船していますがこのグルーブの方は中国の方のようでした。
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首里城公園をグーグルアースでとらえてスクリーン・ショットでアップしてみました。
(観光で訪れている人も多いので三方面にわかれました。)
自分も二度目の首里城公園ですが有料地域をすくめて、現地ガイドさんの案内ですべて廻ることにしました。
地下の駐車場に入って以前の首里城の記憶がよみがえりました。
素晴らしい知識豊富な現地ガイドさんと合流してのツアースタートです。
でも、右から左の忘却の彼方ですから、首里城公園のホームページを参照してください。
01
黄色は高貴な方のみ着る事が許されていたとの事です。
記念撮影できる定番の所です。
守礼門を潜ります。
ご存じたとは思いますがHPから引用させていただきます。
「守礼(しゅれい)」とは「礼節を守る」という意味で、門に掲げられている扁額(へんがく)には「守礼之邦(しゅれいのくに)」と書かれている。「琉球は礼節を重んずる国である」という意味である。首里城は石垣と城門の多い城であるが、中でもデザイン上バランスがとれ、エレガントな雰囲気のある代表的な門がこの「守礼門」である。中国風の牌楼(ぱいろう)という形式で建立されている。
首里城での多数の城門や建築物には「公式の名称」の他に「別名」が付けられている。それらの呼び名から往時の琉球人の詩的な感覚が読みとれる。守礼門は古くは「首里門(しゅりもん)」ともいわれたが、庶民は愛称として「上の綾門(いいのあやじょう)」と呼んだ。「上の方にある美しい門」という意味である。
1527~55年(第二尚氏4代目尚清王(しょうせいおう)代)にはじめて建立され、1933年(昭和8)に国宝に指定されたが沖縄戦で破壊された。現在の門は1958年(昭和33)に復元されたもので、その後今日まで沖縄を象徴する観光施設として利用されている。2000年の記念紙幣2,000円札の絵柄にもなっている。
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生憎の雨が降り出してきました。
夕立です。
上の赤い朱の門は「瑞泉門」です。
右手のカーブした所の下に「龍樋」があります。
瑞泉門の説明は引用させていただきます。
「龍樋」は、龍の口から湧水が湧き出していることからそのように名付けられた。この水は王宮の飲料水として使われていた。また、中国皇帝の使者・冊封使(さっぽうし)が琉球を訪れたとき、那覇港近くにあった「天使館(てんしかん)」という宿舎まで、毎日ここから水を運んだといわれている。
龍の彫刻は1523年に中国からもたらされたもので、約500年前のものである。
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聖なる水の「龍樋」(りゅうひ)です。
以下は引用です。
「龍樋」は、龍の口から湧水が湧き出していることからそのように名付けられた。この水は王宮の飲料水として使われていた。また、中国皇帝の使者・冊封使(さっぽうし)が琉球を訪れたとき、那覇港近くにあった「天使館(てんしかん)」という宿舎まで、毎日ここから水を運んだといわれている。
龍の彫刻は1523年に中国からもたらされたもので、約500年前のものである。
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大型クルーズ船のショアエクスカーションのお決まりのおしゃもじです。
大人数の方が一時に上陸しますからおしゃもじの番号のバスに乗り、観光地ではおしゃもじの跡を付いて観光します。
因みに、こちらはイタリア船のコスタクルーズで観光客の方は中国人のようでした。
勿論、それ以外の方も乗船していますがこのグルーブの方は中国の方のようでした。
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首里城公園をグーグルアースでとらえてスクリーン・ショットでアップしてみました。