築地から北に向かう乗り換え駅にも指定されている日比谷線の築地駅と有楽町線の新富町駅の距離は150メートルだそうです。今回のランチと街歩きは距離にすれば超狭い地域です。でも、『散切り頭を叩いてみれば』文明開化をっを少し感じる地域です。
隅田川に面した埋め立て地(築地)江戸・東京の経済
そして文化の発展に深く関わり、史蹟・旧跡が集中したエリア
江戸から東京へと移り変わる経済・文化の軌跡を感じる事の出来る「築地」。江戸時代 ” 八丁堀の旦那 ” と呼ばれた江戸町奉行の与力・同心の居住地であった「八丁堀」。安永3年(1774)に完成した近代医学の基礎となった「解体新書」にゆかりの「明石町」には明治2年(1869)に外国人居留地が置かれ、現在は聖路加国際病院が建てられています。国指定特別名勝・特別史跡の「浜離宮恩賜庭園」は、いまなお江戸時代の大名庭園の特色を残し、風光明媚な都会のオアシスとして、四季を通じて多くの人が訪れます。
築地の由来と今
中央区役所の所在地である築地。「築地」の地名は本願寺の移転再建の際に江戸湊を埋め立て ” 築いた土地 " であることに由来しています。築地本願寺の直ぐ側にあった築地市場は、平成30年(2018)に豊洲に移転しましたが、築地場外市場や生鮮市場「築地魚河岸」等、以前と変わらぬ賑わいを見せています。
今回は聖路加ガーデンでランチを済ませて隅田川テラスに出てからご近所の歴史的な所を探索して新富町駅から帰りました。北風が吹き木枯らし一号と認定された昨日でした。
それでは超狭い明石町界隈の探索です。居留地だったご近所は教会や西洋文化や教育機関の創設地などが目白押しです。
1 トイスラー記念館です。聖路加国際病院の宣教師館として、建設されました。
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4 聖路加国際病院創設者R.B.トイスラー医師記念碑です。
5 立教学院発祥の地記念碑です。
6 慶応義塾発祥の地碑です。黒い石碑の上に本の形の石がのっています。
福沢諭吉が蘭学の塾を開いたことから発祥の地としたようです。
7 日本近代文化事始めの地です。
解体新書の本の形の石碑です。
8 慶応義塾の石碑の上の本には「天は人の上に人をつくらず」の言葉が書かれています。
9 聖路加タワーの隅田川側のエントランスです。
10 女子聖学園発祥の地の石碑です。
11 明治学院発祥の地の石碑です。
12 雙葉学園発祥の地記念碑です。
雙葉をイメージした可愛らしいオブジェです。
13 青山学院記念の地石碑です。
14 明石小学校の角地に、居留地跡碑があります。
15 ガス街灯の柱は、コリント式で明治末年頃のものと推定されます。
当時、ガス街灯は、外国人居留地の風物詩でした。
16 関東学院の源流東京中学院の発祥の地記念碑です。
17 聖書がのっている暁星学園発祥の地石碑です。
18 今では築地川が有った所が公園になっています。首都高速も川底を走ったり高架を走ったりしています。
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21 浅野匠頭邸跡の石柱です。
このあたりに浅野家の上屋敷があったとのことです。
22 聖路加国際大学です。
23 聖路加国際病院です。
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26 光が入り分かりにくいですが、聖ルカ通りの表示板です。
27 桜の葉の紅葉も良く見かけますが、こちらはその返礼で送られたと同じハナミズキの葉が紅葉していました。
28 わかり難いですが十月桜が咲いていました。
29 隅田川テラスから佃島の高層マンションを眺めて
30 聖路加タワー
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33 聖路加国際病院の居留地通り側から
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35 670余年の、のれんを誇る塩瀬総本家です。
36 有楽町線の新富町駅です。
秋の小春日和の一日を浅草から隅田川沿いを歩いて南下するのも素敵な一日を過ごす事が出来ると思います。健脚向きには隅田川の東武鉄橋の辺りから天王洲アイル当たりまで川面を眺めながら素敵な秋をご堪能下さい。
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