参拝したのが、2月1日ですから既に一ヶ月が経っています。
二日目の朝一番にお邪魔したのが浄土宗総本山知恩院です。勿論、三門も国宝の御影堂もですが、特に特別公開されていた大方丈・小方丈・方丈庭園でした。特別公開の部分は追ってアップします。
知恩院のHPから ご挨拶として総本山知恩院門跡 伊藤唯眞 文章を引用させて頂きます。(なんと敬称をつけて良いのか知識がありませんので、文面の通り省略させて頂きます。)
ご挨拶
総本山知恩院では、法然上人800年大遠忌が円成した直後から、国宝御影堂の修復に着手いたしました。9年の歳月を経て、平成の大修理が完成の域に達し、令和2(2020)年の4月には国宝御影堂落慶法要が奉修されます。
これもひとえに仏祖の加護によるものであり、さらに皆さま方の絶大なるご理解ご援助の賜物であります。また国宝文化財の保存には国のご支援や京都府文化財保護課技師のご指導と諸分野の工匠達のご尽力が得られてのことであります。ここに皆様への満腔の感謝と敬意を表したく存じます。
知恩院は観光寺院ではなく、信仰のお寺です。知恩院にお参りした皆さまがお念仏の心を持ち帰り、自分と親しい間柄の人や他の人とお念仏によってより一層深く結ばれてくだされば大変ありがたいことであります。日々の生活の根幹にお念仏をおくことで、自分は一人ではなく、他人から支えられて生きているという共生の精神が醸成され、生活に潤いが生まれ、社会貢献へと繋がります。
わたくしどもは、この落慶法要という歴史上に刻まれる「時」と「現場」に集いあい、お念仏が家や宗派の垣根、結界を越えて、多くの人々に伝わり、個人の信仰として根付いていくことを願っています。 皆様のご参詣をぜひお待ちしております。
総本山知恩院門跡 伊藤唯眞
方丈内を拝観させて頂いた時、法話が行われておりました。知恩院は観光寺院ではありませんとある通り、熱心に仏教活動を行っていましたが、時間もありませんのでなるべく隅を歩き法話を傾聴する事はありませんでした。少し心苦しくもありました。
1 新門を通り三門前までタクシーで向かいました。車中から撮影です。
2 超巨大で立派な三門です。 華頂山です。
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4 奈良の東大寺と並び称される日本最大級の三門です。
三門国宝、内部非公開
元和7年(1621)、徳川2代将軍秀忠公の命を受け建立されました。 構造は五間三戸・二階二重門・入母屋造本瓦葺(いりもやづくりほんがわらぶき)で、高さ24メートル、横幅50メートル、屋根瓦約7万枚。その構造・規模において、わが国最大級の木造の門で、外に掲げられている「華頂山」の額の大きさは畳2畳以上です。
一般には寺院の門を称して「山門」と書くのに対し、知恩院の門は、「三門」と書きます。
これは、「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無願門(むがんもん)」という、悟りに通ずる三つの解脱の境地を表わす門(三解脱門:さんげだつもん)を意味しています。
上層部(楼上)内部は、仏堂となっており、中央に宝冠釈迦牟尼仏像、脇壇には十六羅漢像(いずれも重要文化財)が安置され、天井や柱、壁などには迦陵頻伽(かりょうびんが)や天女、飛龍が極彩色で描かれています。
また、七不思議の一つである白木の棺があり、三門造営の命を受けた造営奉行、五味金右衛門(ごみきんえもん)夫妻の木像が安置されています。 (HPから引用)
5 三門の先に急な階段が伸びていました。(男階段です。自説)
6 横断歩道の近所でタクシーを下ろして頂きました。向かって左手が和順会館です。
7 三門を支える丸太は石の上に載っているだけです。木材は湿気に一番弱いそうで、乾燥させれば1000年でも優に持つそうです。
8 三門の上の楼上に上がるがる階段です。三門に掲げられている華頂山の扁額は畳二畳分の大きさだそうです。
9 三門を潜りその先の急な階段です。
10 脇の緩い階段を上りました。下って来る時に利用させて頂いたワンボックスワゴンを利用して上ることも可能です。
11 本日の目的はこちらですが、知恩院自体がすてきでしたし、心に焼き付く寺院でした。
12 女階段を上った上から和順会館方向を振り返り。右の木立の中の屋根が三門です。
13 三門上の急な階段からの三門です。
14 多宝塔ですが、歴史的に浅いこともあり特段説明されておりませんでした。
15 多宝塔です。
16 多宝塔、御朱印処&手水舎、阿弥陀堂です。
17 国宝の御影堂です。
御影堂 国宝 修理中
元祖法然上人の御影(みえい)を祀ることから、「御影堂(みえいどう)」と呼ばれ、俗に「大殿」とも呼ばれます。
現在の御影堂は寛永16年(1639)に徳川3代将軍家光公によって建てられ、間口45メートル、奥行き35メートル 幅3メートルの外縁をめぐらし、その壮大な伽藍は、お念仏の根本道場として、多くの参拝者を受け入れてきました。毎年4月に行われる法然上人の御忌大会(ぎょきだいえ)、12月の御身拭式(おみぬぐいしき)などでは、堂内にお念仏の声が響き渡ります。 (HPから引用)
18 修復作業を行っていた 国宝 御影堂 です。
19 お線香を手向ける先に御影堂です。
20 御影堂の左手にある阿弥陀堂です。
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22 多分、宝佛殿です。この左手奥に大鐘楼が隠れる感じで位置しています。
23 この位置に正面の三門前の階段(言ってい見れば、急な男坂、脇の緩やかな階段の女坂)以外に大型のワンボックスカーで和順会館前との無料送迎を行ってくれています。観光より生きた仏教を感じる計らいでした。昇りは利用しませんでしたが、下りは利用させて頂きました。コーンポストが並んでいる先が横からみた宝佛殿です。
24 一人では鐘を突く事は出来ない、大鐘楼の鐘です。ゆく年くる年でも放映される大鐘楼です。タクシーを降りる時に大鐘楼も見て行って下さいとのことでした。意識して向かわないと目に飛び込んで来ない位置にあります。
大鐘楼 重要文化財
鐘楼は延宝6年(1678)、知恩院第38世玄誉万無上人のときに造営されたものです。
釣鐘は高さ3.3メートル、直径2.8メートル、重さ約70トン。寛永13年(1636)、知恩院第32世雄誉霊巌上人の鋳造です。知恩院の釣鐘は、京都方広寺、奈良東大寺と並ぶ大鐘として知られています。
この大鐘が鳴らされるのは法然上人の御忌大会(4月)と大晦日の除夜の鐘だけですが、とりわけ除夜の鐘は親綱1人・子綱16人の17人で撞き、京都の冬の風物詩となっています(HPから引用です。)
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26 池の先にあるのが納骨堂です。その裏手がわに大鐘楼があります。
27 右手は御影堂で左手が阿弥陀堂です。それを繋ぐ渡り廊下です。それを潜って武家門へ向かいます。
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29 こちらの新玄関の中の建物で若い女性が合唱していました。そのご黒いツーピース姿の大学生と思しき集団と一緒に円山公園に向かいました。
30 門をくぐりこの先の大方丈、小方丈そして方丈庭園を拝観させていただきました。撮影禁止が殆どですが、方丈庭園は可でしたので庭園を中心にアップさせて頂きます。
アメリカ人の奥さんを連れて京都案内した時くらいで、、
知恩院の 鶯張り廊下の仕組みを 英語のガイドを聞き
初めて納得したという、、
その廊下は「御影堂」の
廊下のことかしら、、
なあんも 覚えてないです〜
今聞くと いろんなことが
しっかり身につくような、、
遅かりし〜 ですね〜
憧れの神戸で育ち、遠足は京都ですから羨ましい限りです。
遠足で、上野動物園だったり西武のユネスコ村などとは大きく異なり、今にして思うと関西や北陸地方に憧れます。
なんで、表日本とか裏日本などと福井や石川を昔は表記していたのか解せません。
福井などで親子三代四代と共に生活する社会に憧れます。
所で、自分等最近まで寺社仏閣など、それほど興味もありませんでしたので何も知らない門外漢でした。
行けば行くほど歴史は今の自分たちと繋がっているのだと深く感じてその重さに感嘆するほどです。
せめて、静岡や名古屋程度ならちょくちょく行けるのですが、こちらからになりとやはり、旅行と身構えてしまいます。
200年越えのアメリカには無い京都の文化など喜ばれたとおもいます。
今回も特別拝観でお伺いした大方丈・小方丈だったかにウグイるの廊下があったと思います。
知恩院の七不思議をお邪魔してしりまいた。
いつもコメントありがとうございます。