お千代さん こと 島倉千代子さんが亡くなりました
。デビューしたての頃は、私も子供だったので良く覚えていませんが、波乱万丈の人生だったようですね。亡くなる3日前に新曲のレコーディングをなさったとかで、その執念と言うか責任感に驚かされます。
葬儀には多くの後輩の歌手が参列したようです。コロムビアの後輩歌手の舟木一夫も棺を運び、霊柩車が離れる時は最前列にいました。
舟木は、その絶頂期に、後に悲恋三部作の最後の曲「残雪」を“高峰雄作”のペンネームで作詞しています。
(前の二作は「絶唱」と「夕笛」)
その詞を見た、島倉千代子が、私にもその先生を紹介して!と舟木に頼んだところ、舟木自身の作詞である事を知り、後に舟木が、『慕情はるかに』と言う詞を島倉千代子の為に書いたと言われています。
初期の頃の歌にも名曲はありますが、〝人生いろいろ〟が広く知られていました。
個人的には “愛のさざなみ”が好きでしたね。
又一人 昭和の歌手が減りにけり

葬儀には多くの後輩の歌手が参列したようです。コロムビアの後輩歌手の舟木一夫も棺を運び、霊柩車が離れる時は最前列にいました。
舟木は、その絶頂期に、後に悲恋三部作の最後の曲「残雪」を“高峰雄作”のペンネームで作詞しています。
(前の二作は「絶唱」と「夕笛」)
その詞を見た、島倉千代子が、私にもその先生を紹介して!と舟木に頼んだところ、舟木自身の作詞である事を知り、後に舟木が、『慕情はるかに』と言う詞を島倉千代子の為に書いたと言われています。
初期の頃の歌にも名曲はありますが、〝人生いろいろ〟が広く知られていました。
個人的には “愛のさざなみ”が好きでしたね。
又一人 昭和の歌手が減りにけり
