本と映像の森11 柿田睦夫ほか『宗教のないお葬式 ~考え方・実例・手引き~』文理閣、2010年1月発行、A5版、160p、1500円+消費税
私と妻のN子さんは、3年前の私の母親の死と葬儀で、「自分たちの葬儀は」「もし私が先に死んで,N子さんが葬儀をとりしきるとすれば」「もしN子さんが先に死んで、私が葬儀をとりしきるとすれば」と言うことを想定した時から、自分たちの葬儀あるいは告別式を考え始めました。
「葬儀社にいわれるがまま、無我夢中で過ぎてしまった」とか「悲しむ時間もなかった」「そんな後悔をしないために」この本を読んでみました。
著者は書いています「この本は「無宗教葬儀」のすすめではありません。つまり、宗教葬儀否定論の立場にたってはいません。」
そして「「自分らしさ」そして残された者への「思いやり」」を強調しています。そこに共感します。
豊富な実例や、実際の式次第の例、一人ひとりが書き込める「エンディングノート」があって、考え始めるスタートにしたいと思います。
いろいろな「音楽葬」や曲を紹介しているのも参考になります。
私の「別れの式」だったら、やっぱりショパンさんのピアノ曲かな。
最後は、荒木栄さんの「花をおくろう」かな。私とN子さんの結婚の始まりは、無宗教の会費制手作り結婚式で、合唱団の仲間が「花をおくろう」を歌って、結婚をスタートさせましたから、結婚の終わりも「花をおくろう」で閉じたいな。
1960年代の北九州での炭鉱闘争とうたごえ運動のなかで創造された歌です。
「吹雪(ふぶき)の夜を 歩いてきた」に始まって
「花を贈ろう オレンジの」で終わる歌です。
いちばん希望するのは、ぼくの「別れの式」に集まった「旅の仲間」たちの声で「花を贈ろう」と歌ってもらうことかな。
もちろん、CDでもいいです。
あと、いくつか紹介したい数字とエピソードです。
(p36)今の日本の葬儀費用の総額は2003年で平均237万円で、内訳は葬儀社への葬儀一式で120万円くらい、飲食接待で40万円くらい、寺院等へ70万円くらい、という相場のようです。
また時間があったら、雨宮家の場合、実際どうだったか、アップしたいと思います。
(p36)2007年の日本人の年間死亡者数は、110万8334人でした。
(p140)日本で最初に無宗教の「告別式」で送られたのは、明治の自由民権運動に参加した中江兆民さんで、私と同じ唯物論者で無神論者でした。
中江さんは、高知県出身で、フランスに留学し,ルソーの『民約論』を日本語に訳し、「東洋のルソー」とよばれました。1890年の第1回総選挙に大阪で当選しましたが、議会の腐敗を強く批判して辞職しました。
「余は断じて無仏,無神,無精魂,即ち単純なる物質的学説を主張する」という人です。
1901年に亡くなった時に、家族に「葬式不要。すぐに火葬場に送り荼毘(だび)にふすこと」と遺言しました。
困った家族が自由民権運動の同郷の指導者だった板垣退助さんに相談して、宗教をともなわない「告別式」という言葉を考えて,新聞に公告した、ということのようです。
板垣さんは、自由民権運動の高揚期の1882年(明治15年)に反対派に襲撃されたとときに「板垣死すとも自由は死せず」というかっこいい名セリフをはいた人です。
中江兆民さんは、咽頭がんで「余命一年半」という通告を受けて、遺書として『続一年有半』を書きました。
私と妻のN子さんは、3年前の私の母親の死と葬儀で、「自分たちの葬儀は」「もし私が先に死んで,N子さんが葬儀をとりしきるとすれば」「もしN子さんが先に死んで、私が葬儀をとりしきるとすれば」と言うことを想定した時から、自分たちの葬儀あるいは告別式を考え始めました。
「葬儀社にいわれるがまま、無我夢中で過ぎてしまった」とか「悲しむ時間もなかった」「そんな後悔をしないために」この本を読んでみました。
著者は書いています「この本は「無宗教葬儀」のすすめではありません。つまり、宗教葬儀否定論の立場にたってはいません。」
そして「「自分らしさ」そして残された者への「思いやり」」を強調しています。そこに共感します。
豊富な実例や、実際の式次第の例、一人ひとりが書き込める「エンディングノート」があって、考え始めるスタートにしたいと思います。
いろいろな「音楽葬」や曲を紹介しているのも参考になります。
私の「別れの式」だったら、やっぱりショパンさんのピアノ曲かな。
最後は、荒木栄さんの「花をおくろう」かな。私とN子さんの結婚の始まりは、無宗教の会費制手作り結婚式で、合唱団の仲間が「花をおくろう」を歌って、結婚をスタートさせましたから、結婚の終わりも「花をおくろう」で閉じたいな。
1960年代の北九州での炭鉱闘争とうたごえ運動のなかで創造された歌です。
「吹雪(ふぶき)の夜を 歩いてきた」に始まって
「花を贈ろう オレンジの」で終わる歌です。
いちばん希望するのは、ぼくの「別れの式」に集まった「旅の仲間」たちの声で「花を贈ろう」と歌ってもらうことかな。
もちろん、CDでもいいです。
あと、いくつか紹介したい数字とエピソードです。
(p36)今の日本の葬儀費用の総額は2003年で平均237万円で、内訳は葬儀社への葬儀一式で120万円くらい、飲食接待で40万円くらい、寺院等へ70万円くらい、という相場のようです。
また時間があったら、雨宮家の場合、実際どうだったか、アップしたいと思います。
(p36)2007年の日本人の年間死亡者数は、110万8334人でした。
(p140)日本で最初に無宗教の「告別式」で送られたのは、明治の自由民権運動に参加した中江兆民さんで、私と同じ唯物論者で無神論者でした。
中江さんは、高知県出身で、フランスに留学し,ルソーの『民約論』を日本語に訳し、「東洋のルソー」とよばれました。1890年の第1回総選挙に大阪で当選しましたが、議会の腐敗を強く批判して辞職しました。
「余は断じて無仏,無神,無精魂,即ち単純なる物質的学説を主張する」という人です。
1901年に亡くなった時に、家族に「葬式不要。すぐに火葬場に送り荼毘(だび)にふすこと」と遺言しました。
困った家族が自由民権運動の同郷の指導者だった板垣退助さんに相談して、宗教をともなわない「告別式」という言葉を考えて,新聞に公告した、ということのようです。
板垣さんは、自由民権運動の高揚期の1882年(明治15年)に反対派に襲撃されたとときに「板垣死すとも自由は死せず」というかっこいい名セリフをはいた人です。
中江兆民さんは、咽頭がんで「余命一年半」という通告を受けて、遺書として『続一年有半』を書きました。