雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

本と映像の森14 小松左京・一色登希彦『日本沈没 2』

2010年03月15日 05時05分51秒 | 本と映像の森
 小松左京原作・一色登希彦『日本沈没 2』<ビッグコミックス>、小学館、2006年8月1日初版第1刷、206p、524円+税

 新宿「雑居ビル消滅」事件から始まった事態の流れを追う、マッド科学者の田所さんに、それを嗅ぎつけた新聞記者「A新聞」の辰野さんは、その現場で言います。
 「マスコミに正義なんてものありゃしませんよ。ぼくは好奇心でのみ動きます」

 「好奇心でのみ動きます」、いいですね。ぼくの人生はそのとおりで。正しいかどうか、ではなくて、おもしろいかどうかで、生きてきたような気がします。 

 田所さんは言います。
 「その好奇心は本物か?君はどこまでその身を捧げて動いてゆけるかね?」「なるほど、吹けば飛ぶような正義感などジャマだ。むしろ、強い意志なら世界を忌み嫌う悪意によっていてもかまわん!わしらが手を貸そうが貸すまいが、君自身のカンを信じて動いてみるといい。それがやがて意味のあるものになるかどうか、わしの方こそ、知りたいのだ。」

 同じ海底探査会社の小野寺さんは、依頼者となった田所さんとM大の幸長助教授と3人で日本海溝に潜ります。
 日本列島の奥の背骨の、深度1万メートル。
 そこで3人が見たものは!

資本論の学習4 商品の交換価値(現象形態)と価値

2010年03月15日 04時08分26秒 | 人間・生命・宇宙
資本論の学習4 商品の交換価値(現象形態)と価値

 「第1章第1節 商品の2つの要因ー使用価値と価値」の第4回目です。
 今回から価値とその「現象形態」である「交換価値」の考察に入ります。

 マルクスさんは言います。
 「交換価値は、さしあたり、1つの種類の使用価値が他の種類の使用価値と交換される量的関係、すなわち、比率として現われる。それは、時と所とともに絶えず変動する関係である。」(新日本新書①p62)
 
 そして「ある特定の商品、たとえば」300リットルの「小麦は、X量の靴墨、Y量の絹、Z量の金などと、要するにきわめてさまざまな比率で他の商品と交換される。」
 「それゆえ、こういうことになる。
 第1に、同じ商品の妥当な諸交換価値は1つの等しいものを表現する。
 しかし、第2に、交換価値は、一般にただ、それ【交換価値】とは区別されるある内実の表現様式「現象形態」でしかありえない。」(p63)

 「さらに、2つの商品、たとえば」300リットルの小麦=akgの鉄「この等式は何を意味するか?
 同じ大きさの1つの共通物が、2つの異なった物のなかに、すなわち」300リットルの小麦のなかにも、akg「の鉄のなかにも、実存するということである。したがって、両者は,それ自体としては、一方でもなければ、他方でもないある第3のものに等しい。」(p63)
 注)原文の「ブッシェル」では現代の私たちにはぴんとこないし、イメージできないので「300リットルの小麦」という表現をしてみました。

 「この共通なもの【第3のもの】は、商品の幾何学的、物理学的、化学的、またはその他の自然的属性ではありえない。・・使用価値としては、諸商品は、なによりもまず相異なる質であるが、交換価値としては、相異なる量でしかありえず、したがって、1原子の使用価値も含まない。」(p64)

 正確に雨宮流に翻訳して「使用価値としては、諸商品は、なによりもまず相異なる質であり、相異なる量かあるいは同じ量であるが、交換価値としては、なによりもまずまったく同じ質であり、相異なる量である」という風になりますか。
 
 つまり 使用価値は 異なる質 異なる量か同じ量
     交換価値は 同じ質  異なる量か同じ量

 交換価値で「同じ質、異なる量」と私が規定するのは、等号「=」で結んだ等式「300リットルの小麦=akgの鉄」という場合には、小麦の交換価値と鉄の交換価値は、等式の左右で同じ量でなければならないからです。

 この交換価値の「質」をマルクスさんは、次のパラグラフでこう解説しています。

 「そこで、諸商品の使用価値を度外視すれば、諸商品にまだ残っているのは、1つの属性、すなわち労働生産物という属性だけである。」(p64)

 やっと、労働生産物という、商品を生産する労働の問題が出てきました。以下、続きます。

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雨宮日記 3月14日(日) 札幌の介護施設火事で7人死亡

2010年03月15日 03時56分04秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 3月14日(日) 札幌の介護施設火事で7人死亡

 3月13日(土)に、札幌のグループホームの火災で7人のお年寄りが亡くなりました

 妻のN子さんは、現在、浜松のあるグループホームに介護職員として勤務しているので、今日は遅番(午後8時までの勤務)で帰ってきて、火災の話になりました。
 
 防火体制、消火用のスプリンクラーの設置などの問題もありますが、そもそも、夜間に認知症のお年寄り9人を職員1人でみているという職員数に問題があるのでは、という話になりました。
 大地震とか火事とかあっても1人で緊急に認知症のお年寄り9人を避難させるなど,無理な話です。
 N子さんは以前は保育園の保母さんだったのですが、年長児9人を1人の保母が誘導して避難させることはできるでしょうね。でも赤ちゃんだったら、無理ですね。

 保育園でも、定員を緩くして、園児を詰め込む計画もあるようで、赤ちゃんからお年寄りまで、「詰め込み」されて、不幸です。

 こんな死に方や生き方はひどい、いやです。
 誰もが幸せに生きて、幸せに死ねる社会をつくりたいです。

 いや、ごめんなさい,違いますね。訂正します。
 「つくりたい」なんていう願望ではないです。
 妻のN子さんなどの、ほんとうの仲間といっしょに、誰もが幸せに生きて、幸せに死ねる社会をつくります。