雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

宇宙1 今年はガリレオさんが木星衛星を発見して400年

2010年03月10日 04時15分35秒 | 人間・生命・宇宙
宇宙1 今年はガリレオさんが木星衛星を発見して400年

 今年は2010年です、と大声で言うほどのことでもないかな?
 もちろん西暦です。
 今年は、平成22年、と言われても、なんの地球的意味もないですから。もちろん、日本的伝統を軽蔑するつもりはありません。
 地球的・宇宙的意味と、日本的伝統は、対立するものではなく、相補的なものだと思います。
 
 深海生物学者の長沼毅さんが書いた『生命の星・エウロパ』(NHKブックス)の冒頭の「第1章 エウロパの海」に、書かれているエピソードです。

 400年前の1610年1月7日、イタリア北東部の都市パドヴァで、夜空に輝く木星に、望遠鏡をむけたガリレオ・ガリレイさんは、木星の回りに、小さな、小さな、4つの星を発見しました。

 これが、惑星(プラネット)の周りを回る衛星(サテライト)の発見の最初です。

 ガリレオ・ガリレイさんは、木星の周りをまわる4つの衛星は、太陽を回る地球、地球を回る月の、ミニチュアモデルであると理解したのです。

 ここから始まって、ルネッサンスの崩壊していく時期に、ガリレオ・ガリレイさんは、コペルニクスさんの「地動説(太陽中心説)」に同調し、当時の権威であるローマ法王庁の「天動説(地球中心説)」に反対したために、宗教裁判にかけられてしまいました。

 400年前って、すごいですね。

 ガリレオ・ガリレイさんにすれば「そんな400年後のことは、ぼくは知らないよ。想像もできない。ぼくは、とにかく、今を必死に生きているんだから」ということでしょうか。

 今年2010年の400年後は、2410年です。

 ローマ・カトリック教会が、公式にガリレオ・ガリレイさんの「地動説」を認めたのは、いつかと言うと、なんと、1992年で、わずか18年前です。

 ぼくは小さい頃から天文マニアだったので、高校では地学部天文班でした。

 たぶん、中学生頃かな、小さな望遠鏡で、初めて、楕円形の輝く木星の周囲に、4つの小さな衛星を見たときの感動を思い出します。

 4つの衛星、イオ、エウロパ、ガニメデ、カリストのことはまた書きます。




 

哲学の学習11  「量」と「質」を考えます、その2 どっちが先

2010年03月10日 04時03分50秒 | 人間・生命・宇宙
哲学の学習11  「量」と「質」を考えます、その2

 量と質、あるいは質と量は、相補的な概念として考えられています。
 (相対立する概念という言い方・考え方もあるかもしれませんが、私はそういう「対立物」ではなく「相補物」として考えたいと思います。)

 では、人類の認識の歴史では、量と質、質と量、どちらが、先に認識されたのでしょうか。

 量とは、たとえば、1つ、2つ、というように、「数詞」=「言語」なしには、とらえられません。
 分離量であれ、連続量であれ、「数える」ことなしには、認識できません。
 
 でも、質は、たとえば「涼しい」「暑い」「でかい」「小さい」「丸」「四角」「植物」というように、言葉なしのイメージとして認識できるのではないでしょうか。

 あるいは、「なんかいやだ」「逃げないと」「心地よい」「好きだ」「嫌いだ」という感情。

 言語をもつ段階以前の人類、あるいは神経と脳のある動物たちは、みんな、「質感」を言葉としては表現できなくても、感覚しているのではないでしょうか。

 ですから、量よりも,質の方が人類の認識史から考えても先ではないでしょうか。