雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

哲学の学習15 量 その2 分離と連続、外延と内包

2010年03月23日 04時14分13秒 | 人間・生命・宇宙
哲学の学習15 量 その2 分離と連続、外延と内包

 遠山啓さんの本の続きです。

 遠山さんは、量を、まず分離量と連続量に分けます。
 そして連続量を、外延量と内包量に分けます。

 「物体もしくは物質に対するもっとも基本的な操作は合併である。
 たとえば、2つのバケツのなかにはいっている水をあわせて1つにするような操作が、この合併という操作である。
 この合併に対して加法的なのが外延量であり、そうでないのが内包量である。
 たとえば、2つのバケツのなかにはいっている水の体積がそれぞれ3リットルと5リットルだとすれば、あわせた水の体積は3リットル+5リットル=8リットルになる」
 「体積・重さ・値段などは問題なく加法的である。」(p107)
 
 「これに対して、合併が加法を意味しないような量も存在する。密度・濃度・温度・速度・単価などがそうである。20度の水と30度の水をあわせてかきまぜても50度にはならないで、20度と30度とのあいだのある値をとるだろう。つまり合併から加法がでてこないのである。」(p107~108)

 「べつのいい方でいえば外延量は“大きさ”もしくは“広がり”の量であり、内包量は“強さ”の量である」(p108)
 
 遠山さんは言います「このような内包量をくらべるのには計算という手段を必要とせず、感覚の助けによって判定することができる」

 つまり「熱い」「冷たい」「暑い」「涼しい」などの感覚で判定することができるということです。
 これは量?質?
 どっちなんでしょうか。

雨宮日記 3月21日(日)続報 中国の黄砂でした

2010年03月23日 04時06分07秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 3月21日(日)続報 中国の黄砂でした

 この日はひどい黄砂(こうさ)だったようです。ぼくは寝ていて、午後の遅くに起きてきて、しかも外出しなったし、テレビのニュースも見なかったので、気づきませんでした。

 この日の夜は仕事中、雨で、帰ってきて、午後、車で2人ででかけようとしたら、車のガラスが雨の跡がいっぱいついていて、アレッと思ったら、N子さんが「これ,黄砂の跡だよ。職場の窓もこうなっていた」と言っていました。

 この黄砂ですが、実は砂だけではなくて、顕微鏡で拡大すると怖いくらいいろんなバイ菌やら汚染物質が入っているようです。
 どの程度か、定量的な分析があるかどうか、調べてみます。