本と映像の森16 養老孟司・宮崎駿『虫眼とアニ眼』新潮文庫、2008年2月10日初版、192ページ、定価438円+消費税
☆「本と映像の森」で扱っている本・映像・音声は、すべて雨宮智彦が現在か過去に
実際に読んだか、見た・聞いた、あるいは使っている作品です。
☆客観的な作品紹介ではなく、あくまでの雨宮智彦が感じた、あるいは読み取った内容
ですので、他の人が紹介すると、まったく別の意味になるかもしれません。
解剖学者で昆虫マニアの養老孟司(ようろうたけし)さんと、アニ眼じゃない、アニメ映画監督の宮崎駿(みやざきはやお)さんと言えば、まあ時の人でしょう。
このお二人の、とりとめもない(ごめんなさい!)というか、あっちへ飛び、こっちへ飛びという対談が、どこへ飛ぶのかわからない宮崎アニメのように,おもしろいです。
というより、結末のわかっている作品や、歴史や現実は、おもしろくもなんともないですね。
結末のわからないのが、本来の「弁証法」的現実だと思います。
宮崎さん「ぼくが思いつくのは、学校の校庭を平らなのをやめてデコボコにしろとか、運動会は、丘から丘に紐を張って、それにぶら下がって渡ればいいじゃないか」「平らな地面の上で、前へならえして、行進なんかしてちゃだめなんだ」(p48~49)
養老さん「感性の基本には、ある種の「差異」を見分ける能力があると思う」「いまや子どもまでもがそういったディテールを見分ける能力が抜け落ちてしまっている」(p50)
同じく養老さん「自然環境というのは、ものすごいディテールで成り立っていて、いまの人間はそれを完全に無視して生きているといいうことです。」(p51)
あ、これって、同じだと思ったのは、介護施設の職員である妻のN子さんが去年くらいに言った言葉「お年寄りの心の中を読み取らないと、介護の仕事はできない」「そのためにはお年寄りの言葉や表情の微妙な変化が読み取れないと」という話と同じだなと。
哲学の学習で「量と質」を考えていますが、一人ひとりが、どう「質」の違いを読み取れるかが、実は一番大事なことではないでしょうか。
宮崎さんの言葉「子どもたちに生まれてきてよかったねって言おう。言えなければ映画は作らない。自分が踏みとどまるのはその一点でした」(p130)
この言葉を読んで思い出したのは、10代の頃、学校でいじめにあっていた次女が「もうあんな学校には行かない」と決意して、それを学校に告げて帰ってきた時に、ちょうど家の玄関にぼくが、いました。
次女が「ただいま」と言うので、親として何を言えばいいのか、うろたえながら言ってしまった一言「おめでとう」。
うわあ、なんてことを口走ったんだ!と思ったけど。
次女の決意に「おめでとう」というこ感じです。
宮崎さんの言葉を借りれば、こういうことになります。
「きみは生まれてきて、よかったんだよ。きみの人生に、おめでとう!お父さんはきみの決意を全面支援するからね!」というような気分だと思います。
宮崎駿さんとその親友の高畑勲さんのアニメ映画をきちんと学習したいと思います。最初は「太陽の王子ホルスの大冒険」「怪盗ルパン カリオストロの城」に始まります。
その後、宮崎駿さんのアニメ映画で「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「もののけ姫」「千とちひろの神隠し」「ハウルの動く城」などです。
その一つひとつの感想は、また書いていきます。
写真は、種名がわからない小さな「虫」です。
☆「本と映像の森」で扱っている本・映像・音声は、すべて雨宮智彦が現在か過去に
実際に読んだか、見た・聞いた、あるいは使っている作品です。
☆客観的な作品紹介ではなく、あくまでの雨宮智彦が感じた、あるいは読み取った内容
ですので、他の人が紹介すると、まったく別の意味になるかもしれません。
解剖学者で昆虫マニアの養老孟司(ようろうたけし)さんと、アニ眼じゃない、アニメ映画監督の宮崎駿(みやざきはやお)さんと言えば、まあ時の人でしょう。
このお二人の、とりとめもない(ごめんなさい!)というか、あっちへ飛び、こっちへ飛びという対談が、どこへ飛ぶのかわからない宮崎アニメのように,おもしろいです。
というより、結末のわかっている作品や、歴史や現実は、おもしろくもなんともないですね。
結末のわからないのが、本来の「弁証法」的現実だと思います。
宮崎さん「ぼくが思いつくのは、学校の校庭を平らなのをやめてデコボコにしろとか、運動会は、丘から丘に紐を張って、それにぶら下がって渡ればいいじゃないか」「平らな地面の上で、前へならえして、行進なんかしてちゃだめなんだ」(p48~49)
養老さん「感性の基本には、ある種の「差異」を見分ける能力があると思う」「いまや子どもまでもがそういったディテールを見分ける能力が抜け落ちてしまっている」(p50)
同じく養老さん「自然環境というのは、ものすごいディテールで成り立っていて、いまの人間はそれを完全に無視して生きているといいうことです。」(p51)
あ、これって、同じだと思ったのは、介護施設の職員である妻のN子さんが去年くらいに言った言葉「お年寄りの心の中を読み取らないと、介護の仕事はできない」「そのためにはお年寄りの言葉や表情の微妙な変化が読み取れないと」という話と同じだなと。
哲学の学習で「量と質」を考えていますが、一人ひとりが、どう「質」の違いを読み取れるかが、実は一番大事なことではないでしょうか。
宮崎さんの言葉「子どもたちに生まれてきてよかったねって言おう。言えなければ映画は作らない。自分が踏みとどまるのはその一点でした」(p130)
この言葉を読んで思い出したのは、10代の頃、学校でいじめにあっていた次女が「もうあんな学校には行かない」と決意して、それを学校に告げて帰ってきた時に、ちょうど家の玄関にぼくが、いました。
次女が「ただいま」と言うので、親として何を言えばいいのか、うろたえながら言ってしまった一言「おめでとう」。
うわあ、なんてことを口走ったんだ!と思ったけど。
次女の決意に「おめでとう」というこ感じです。
宮崎さんの言葉を借りれば、こういうことになります。
「きみは生まれてきて、よかったんだよ。きみの人生に、おめでとう!お父さんはきみの決意を全面支援するからね!」というような気分だと思います。
宮崎駿さんとその親友の高畑勲さんのアニメ映画をきちんと学習したいと思います。最初は「太陽の王子ホルスの大冒険」「怪盗ルパン カリオストロの城」に始まります。
その後、宮崎駿さんのアニメ映画で「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「もののけ姫」「千とちひろの神隠し」「ハウルの動く城」などです。
その一つひとつの感想は、また書いていきます。
写真は、種名がわからない小さな「虫」です。