雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 3月18日(木) 春の馬込川を散歩

2010年03月20日 19時34分33秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 3月18日(木) 春の馬込川を散歩

 春の馬込川の土手を2人で散歩しました。家のあたりから東岸を南下して、太鼓橋を越えて、次の橋まで。
 そこから今度は西岸を北へ。

 まだカモたちが残っていたり、真っ黒くてくちばしが黄色いカワウが1羽いたり、小さな青いイヌフグリがいっぱい咲いていたり、早足で歩くのではなくて、のんびりとじっくり観察しながら歩くのがおもしろいです。

 ぼくたち夫婦「人生2人旅」だからおもしろいので、1人ではおもしろくないかも。
 夫婦でなくても、家族でも親子でも、友達でも、感動をわかちあえる、あるいは共感できる相棒がいれば、人生こわくないですね。


古代史の本 『日本書紀』のテキスト、文庫本

2010年03月20日 16時56分22秒 | 古代史の本

本と映像の森18 『日本書紀』のテキスト、文庫本

 日本古代史の基本文献の1つは「記紀」、つまり『古事記』『日本書紀』であることいn異論のある方はないと思います。

 「あんなものは7世紀初めの創作で事実ではない」「天孫降臨とか神武東征とかうそだ」と考えている人がいたら、伝承を何の根拠もなく軽視しない方がいいと私は思います。
 
 まず読んで批判すべき所は批判するのが筋道だと思います。
 まず全文をきちんと読みましょう。

 『古事記』の方は、文庫本や現代語訳がかなり出ていますが、『日本書紀』の方は、手軽な文庫本で読めるのは限られていますので紹介します。

 おすすめは、講談社学術文庫で宇治谷孟(うじたに つとむ)さんの現代語訳で上下・2巻本で出ているテキストです。
 『日本書紀 全現代語訳』、1988年第1刷発行で、私が買った2004年に第33刷ですから、かなり売れているのだと思います。
 私が買ったときで1冊1150円+税、でした。

 原文と現代語訳と注釈まで載っている文庫本は、やはり岩波文庫の5冊本ですね。私が買ったときで1冊1000円+税です。

 なお『日本書紀』に続く古代日本の正史である『続日本紀』も同じ宇治谷さんの全現代語訳で、3冊本で出ています。
 これも買って、通読することをおすすめします。


資本論の学習5 「実存する」とは何でしょうか?

2010年03月20日 04時15分49秒 | 人間・生命・宇宙
資本論の学習5 「実存する」とは何でしょうか?

 前回第4回に『資本論』第1章第1節から以下のような引用をしました。ページは新日本新書版第1巻です。
 
 「さらに、2つの商品、たとえば」300リットルの小麦=akgの鉄「この等式は何を意味するか?
 同じ大きさの1つの共通物が、2つの異なった物のなかに、すなわち」300リットルの小麦のなかにも、akg「の鉄のなかにも、実存するということである。」
 「したがって、両者は,それ自体としては、一方でもなければ、他方でもないある第3のものに等しい。」(p63)
 「この共通なもの【第3のもの】は、商品の幾何学的、物理学的、化学的、またはその他の自然的属性ではありえない。・・使用価値としては、諸商品は、なによりもまず相異なる質であるが、交換価値としては、相異なる量でしかありえず、したがって、1原子の使用価値も含まない。」(p64)
 注)原文の「ブッシェル」では現代の私たちにはぴんとこないし、イメージできないので「300リットルの小麦」という表現をしてみました。

 ここで問題なのは「実存する」というマルクスさんの表現です。
 ドイツ語原文では「existireren」で、その直前の「交換価値は、一般にただ、それとは区別されうるある内実の表現様式、「現象形態」でしかない。」(p62)という「現象形態(Ersheinungsform)」とは明らかに用語が異なっています。

 マルクスさんの用語が異なっていれば、概念も違うというのが特別の理由がない限りは妥当な話だと思います。

 脱線して考えると、たぶん、ここでいう「実存」はフランスのサルトルさんの「実存主義」とは何の関係もないと思います。
 もし関係があったら、ごめんなさい。

 第4回では省略した文章はこうです。

 「両者はどちらも、それが交換価値である限り、この第3のものに還元されうるものでなければならない。簡単な幾何学上の1例がこのことを明らかにするであろう。およそ直線形の面積をはかり、比較するためには、それをいくつかの三角形に分解する。三角形そのものは、その目に見える形とはまったく異なる表現ー 底辺×高さ÷2 ーに還元される。これと同じように、諸商品の交換価値もある共通物に還元されて」(p63)

 つまり、「二つの異なった物のなかに」「実存する」「同じ大きさの1つの共通物」は「その目に見える形【交換価値】とはまったく異なる表現に還元され」ます。

 あとの第3章第1節では、こう述べられています。
 「鉄、リンネル、小麦などの価値は、目には見えないけれども、これらの物そのもののうちに実存する」(p162、原書p110)

 とにかく「実存」という概念と「現象」という概念が違うということを今日は学習しました。

 「実存」という概念は、ヘーゲルさんから来ているので、またそっちも含めて縦横斜め、学習を続けます。