人間・心・集団3 森繁久弥さんの「人間は、芸+人」
今年、森繁久弥さんが亡くなったあと、NHKラジオで深夜に、追悼放送があり、以前の森繁さんの録音が流れていました。
その中で、森繁さんが「以前は、芸人というのは、芸のある人だと思っていたが、いまは、芸人というのは、芸+人だ、芸も、人もどっちもだいじだと思う」という意味のことを語っていたのが印象的でした。
芸というのは、能力のことだと思います。
それに対して「人」というのは、人間のなかで、ふつう「人格」とか「魂」とかいわれるもので、これが一人ひとりの人間の中心、司令塔なのだと思います。
私のイメージでは、1人の人間の中心には「魂」「人格」とか呼ばれるものがあり、その周囲に、周りの人間や自然とコミュニケーションする「能力」が発達していきます。
それを「労働力」「労働能力」と呼んでもいいでしょうね。
「芸」という「能力」が発達しても、それは必ずしも「人格」「魂」の発達とはならず、その変質や後退になる場合もある、ということを森繁久弥さんは言っているのだと思いました。
自分の能力が発達したことを、自分の「人格」「魂」そのものが発達して,他人より上に立ったように誤解してしまう人もいるのではないでしょうか。
(未完、詳述します)
今年、森繁久弥さんが亡くなったあと、NHKラジオで深夜に、追悼放送があり、以前の森繁さんの録音が流れていました。
その中で、森繁さんが「以前は、芸人というのは、芸のある人だと思っていたが、いまは、芸人というのは、芸+人だ、芸も、人もどっちもだいじだと思う」という意味のことを語っていたのが印象的でした。
芸というのは、能力のことだと思います。
それに対して「人」というのは、人間のなかで、ふつう「人格」とか「魂」とかいわれるもので、これが一人ひとりの人間の中心、司令塔なのだと思います。
私のイメージでは、1人の人間の中心には「魂」「人格」とか呼ばれるものがあり、その周囲に、周りの人間や自然とコミュニケーションする「能力」が発達していきます。
それを「労働力」「労働能力」と呼んでもいいでしょうね。
「芸」という「能力」が発達しても、それは必ずしも「人格」「魂」の発達とはならず、その変質や後退になる場合もある、ということを森繁久弥さんは言っているのだと思いました。
自分の能力が発達したことを、自分の「人格」「魂」そのものが発達して,他人より上に立ったように誤解してしまう人もいるのではないでしょうか。
(未完、詳述します)