戦時中禁止されていた日本人同士の集会が解禁されると相撲大会、運動会が開催されるようになった。
市内外の老若男女が集まってプログラムにしたがって競技をし弁当を囲む光景は内地と同じである。
相撲大会には叔父たちに混じってわたしも出た。
ある叔父が四股名に「出ると負け」を名乗って観客を笑わしていた。
わたしは負けて土俵を降りるときスポーツマンシップに反する行為をして母に叱られた。
負け賞品の鉛筆を母に投げたのだった。
叱られることによって社会常識を学んだ気がする。
運動会は再開されたばかりの日本人学校で開催された。
こどもの競技も異年令の混合で行われたので年長者から学ぶことが多かった。
袋で目隠しして四足で走る「猫かぶり」で1位になった。
手足を浮かさず滑るように走ると方向のズレが少なくゴールまで速く行くことができる、というアドヴァイスに従った結果だった。
運動会参加が縁になって日本人学校の日曜学級に通いだした。
寮まであったが生徒が集まらなかったのかすべて低調だった。
この時薄っぺらな算数の問題集をはじめて使ったような気がする。
日曜学級も指導者が居なくて立ち消えになったのか数回行ったきりになった。
結局自習の算数は九九はできたが通分の壁を越えることができないまま日本に来た。
日常、あまり用のない通分は、父母の限界が自分の限界になった。