自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

いざ街頭へ/安保闘争4 .15

2014-12-27 | 体験>知識

翌日から4.15安保批准阻止京都府学蓮デモの準備で多忙を極めた。
1回生は素人集団だから段取りは2回生に教わった。
予算がないので物品は全学自治会=同学会から提供を受けた。
立て看板を作り、ポスターを貼って要所要所に立てる。
行動への呼びかけ原稿を原紙に切り、謄写版で必要枚数だけビラに刷り上げる。
活動家会議で翌日の雑務を割り振り確認する。
最終電車に間に合うように仕事を切り上げ、高い校門をよじ登って越える。
河原町三条で市電に乗り換えて真如堂近くの下宿に帰り着く。
翌朝早起きして、続々と登校して来る学生にビラをまく。
クラスの全員が揃う語学の授業には、かならず出る。
先生の許可をもらって、安保について討論し、デモ参加を話し合う。
許可が出なかった記憶はない。
先生がクラス討論に参加することも皆無だった。
安保改定賛成の意見も出なかったように思う。

新安保条約とは...。
「極東」有事に備えて日本国内の米軍基地の地位を保全する。
アメリカの施政下にある沖縄は論外である。
米軍は今後も本土基地を自由に使用できるが大部隊の配置、核兵器の持ち込みは「事前協議」の対象になる。
以上「極東」と「事前協議」が新安保条約の肝であるが、それを学生間で議論する
ことはなかったように思う。
その後の推移が示す通り虚偽と密約を秘めた条文を議論してもせんないことだった
だろう。

冷戦下の米ソ間に戦争が勃発すれば日本は戦場になる。
みな敗戦の惨めさを体験している。
非戦が国民の共通の願いだったとある識者は述べている。
岸信介が日米開戦の宣戦詔書に署名し戦争を遂行して戦後A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに拘留されていたことを知らない者はいない。
あれやこれやで議論はデモのやり方が中心だった。
メインロードで蛇行するジグザグデモや道いっぱいに広がるフランスデモで交通を妨げ市民に迷惑をかけてもよいのか?
国の命運や個人の運命がかかっているときに市民の迷惑はやむをえない。
ほかに手段があるか?
日本は議会主義の国だから国中で署名を集めて国会に請願すればよい。
結局2種類のデモがそれぞれの旗のもと時には同時に時には別々に行われるようになった。
4月15日初めてのデモに参加した。
同志社で府学連集会、1200名ほどが円山公園までデモ行進し、国民会議の集会に合流した。
宇治分校生はおっかなびっくり少数が参加した。
まだ自治会再建直前のデモだったはずだ。

註  アメリカの最大関心事が、従来米軍管制下にある日本の空と空軍基地ではなく、原子力空母が所属する第7艦隊が横須賀、佐世保の両基地を母港として自由に出入りできるようにすること、それに核の秘密持ち込みだった、と後に思い知らされた。