自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

2.26事件/近現代史を振り返るーあとがき

2018-12-04 | 近現代史

1936.7.12 磯部、村中を除く15士処刑 8.7 「国策の基準」決定 大陸・南方海洋への進出方針 8.11北支処理要綱決定 華北5省の防共親日満地帯建設を企図 11.25日独防共協定 12.12張学良による蒋介石監禁 国共合作の端緒

1937.7.7 北京郊外盧溝橋で日支両軍衝突 7.28日本軍、華北で総攻撃開始 8.15対華全面戦争開始(華中-上海で激戦) 8.19北・西田・磯部・村中処刑 8.21 中ソ不可侵条約調印 紅軍、八路軍(国民革命軍)に改編へ 事実上の国共合作成立

2.26の首魁たちは、満洲国容認、華北侵略反対、対米戦回避、対ソ戦警戒であった。北以下4名は刑死の前に日中戦争という亡国の事態を知り得ただろうか? 
わたしの近現代史への関心は菊地章典先生に薦められて石光真清の手記4部作を読むことから始まった。真清は10歳で熊本城下で西南戦争をまじかに見た。私は真清の足跡を追いながら日清戦争(台湾掃討) 対露諜報、日露戦争、シベリア出兵、韓国義兵闘争と韓国併合、関東大震災に筆を進めた。大正デモクラシーと国際協調路線をはさんで、治安維持法と大陸積極政策、満洲事変、国内動乱を研究した。そして回りまわって西郷の西南戦争に舞い戻った。
たくさん書いたが、田中上奏文*が偽書を装った巧妙な情報秘匿策であることを発見したことと樺美智子さんの死の真実を突き止めたことは、自負に値すると思っている。
田中義一首相が提起した「対支政策要綱」の基礎資料である東方会議の秘密議定書「満蒙における積極政策」である。その後の張作霖爆殺、満州事変、満洲建国の伏線となった。ソ連、英米が反対しても満鉄を核とする満蒙の開発と大陸の経済資源で国富を増強すれば十分排撃できる、という新国防思想の根拠となった。国際連盟も極東裁判も巧妙なセキューリティ・トリック(漏洩しても偽書とみなされる仕掛け)にはまってその歴史的重要性(ヒットラー『わが闘争』を想起させる)を見逃してしまった。
対中国戦争、対米戦争については対象化する気はない。これまでの考察、なかでもシベリア戦争の考察から、日本の対華戦争が謀略と先制攻撃で電撃的にはじまり独断専行で戦線を拡大し、戦争に付き物の略奪、強姦、虐殺が欧米で広く宣伝され、大義なき戦争で国際的に行き詰まる、強大な連合軍と戦った太平洋戦争に至っても勝利が見込めないままずるずると戦争を続ける成り行きが想像できて研究する意欲がわかないからである。
かわりに自分史にかかわるエピソード、ニュースのトピックは戦時ものも積極的に取り上げるつもりである。

国境の接地を接壌という。この間たびたび目にしたなじみのないこの言葉がずっと気になっていた。
敗軍の将を痛罵する表現に、彼は地球儀(または世界地図)を見ながら戦略を立てた、というのがある。世界地図だけで戦略を考える軍略家がいないのと同様に世界地図を見ないで国防を論じる者もいない。だから私も日本を中心にした世界地図を観ながらこれまで対象としてきた日本の国防論、戦争の歴史を振り返って後書きとしたい。
本格的な地政学(地理政治学)のなかった幕末、吉田松陰はオホーツク、日本海を内海とみなしたうえ、朝鮮・琉球の朝貢を主張し「北は満州の地を割き、南は台湾、呂宋[ルソン]諸島を収め、進取の勢を漸示すべし」と記している。
山県有朋は欧州視察の経験から一歩踏み込んで主導線[国境]・利益線[朝鮮半島]なる概念で国防を論じ、後日田中義一に帝国国防方針(既述)を立案させた。
当時よく使われた接壌という用語は欧米起源の地政学の中には見当たらない。狭い意味では国境に接する地帯、軍人たちの共通理解では国境の両側の国防上警戒すべき、できれば担保したい地帯である、と私は理解している。砕いて例えて言えばセクハラ・ゾーンである。手を出したいが出したら平和を破る微妙なゾーンである。

具体的には千島、樺太、沿海州、朝鮮、満洲、台湾である。ロシアを意識したこの区域設定については、西郷も青年将校も、はたまた武官として欧米を視察して地政学を学んだ一夕会中心の将官佐官からなる軍首脳と中央幕僚も同一見解であっただろう。

さて、環太平洋の地図に目を移して見よう。出典は23年前の「日本の侵略展」北摂実行委員会パンフレットである。私が引いた〇の内側を見て欲しい。



日本の「生命線」満州国を建国すると華北があらたな接壌になる。そこを侵略すればもはや踏みとどまることができない。接壌国防論は、戦争の原因ではないが開戦の引き金になる。アメリカが内庭を侵されたと怒って米ソ核戦争手前まで行ったキューバ危機をあげるだけで余計な説明はいらないだろう。また国民を煽って排外的に国論を統一する手段にもなる。
荒らしてはならないその接壌-華北でたちまち旧帝都北京を占領した。8月には国際都市上海で激戦を開始、11月に占領、12月13日首都南京を陥落させた。中国は広くて人口が多い。白旗を上げるはずの蒋介石は首都を奥地の重慶に移して徹底抗戦を宣言した。このときナポレオンがロシアでみた悪夢を一瞬でも想起した将官はいただろうか。長期戦になれば接壌論はお役御免になる。


上掲地図で南方は置いといて華北、満洲、朝鮮、台湾を含めた日本の「領土」と領海を見て欲しい。これを見て日本が極東の一島国から一大大陸・海洋国家に大きく成長したとうぬぼれない国民がいただろうか。神州不滅、大和魂の忠君愛国の教育で世界がみえない国民が戦争に熱狂するのは当然であるが、大学出のエリート軍人と官僚が日満の統一した計画経済と自給自足で戦争を遂行できる、戦争で戦争をまかないつつ、石油等足らない物資は南方に求めればよい、海軍軍縮の首枷が取れたからには巨艦を建造して太平洋の制海権を掌握できる、と踏んだのはいただけない。
かれらはスマートだから情報処理能力が高い。都合の良い知識と情報をつまみ食いして目先の戦術をたちどころに立案し、すぐれた執行能力を発揮する。だが精神主義と技術的、行政的側面にとらわれて戦略的思考のレベルが低い。蒋介石の臥薪嘗胆の策と巧みな外交戦略、毛沢東の「持久戦論」と根拠地ゲリラ戦術に完敗した。

最後に言いたいのは、排外主義をかきたてて来た接壌論を(できれば地政学も)世界情勢を考える上で有効利用、つまり平和のために逆用してほしいということである。次の戦争熱にかからない予防薬-ワクチンとして。中国、米国、ロシア、日本の今日の接壌はどこか。台湾、沖縄、尖閣、北方四島は関係国にとって接壌である。うっかりすると、日本そのものが米中ロの接壌にされるかもしれない。