自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

イチローとNOMO/高槻フットボールクラブ創立50周年

2019-04-04 | NEWS/現実認識

イチローの引退会見を見た。
私は野球フアンではない。野茂もイチローも日本で活躍している間はわが脳裏に何の印象も残さなかった。ところが米国で名を挙げた時からサッカー・マニアの立場からそのプレイ・スタイルに魅了されただけでなく、両人の日米スポーツ史における意義を考えるようになった。
私は1968年秋から少年サッカーの指導を始めたが、野茂が1995年にドジャース入団初年度に「トルネード投法」により三振の山を築きMLB新人王に輝くまで、日本のサッカーがフットボールでないのと同様に、野球はベースボールでない、という観念にとらわれていた。NOMOの最終成績:123勝1918奪三振etc.
1965年、日本サッカーは前年の東京オリンピックで釜本たちの活躍で盛り上がったサッカー人気*を背景に日本リーグを立ち上げたが、尻すぼみ的に不振が続き、関係者はプロ化に再浮揚の期待をかけるほかなかった。
*この上げ潮がなかったら私がサッカーに関わることはなかったと言い切れる。
写真 高槻フットボールクラブ一期生 1969年夏 柳川小学校校庭
余談 背景の職員室のTVから流れる高校選手権決勝の実況中継を窓下で聴き耳を立てながらみなで聴いた思い出もまた懐かしい。 三沢高校vs松山商業 延長18回0-0で再試合へ


1993年、単にサッカーの発展振興だけではなく日本のスポーツ文化と国際親善に寄与することを高らかに謳って、念願のプロリーグ「リーグ」が発足した。サッカー人気が爆発し、放課後少年たちが自転車の籠にボールを載せて走り回る姿が至る所で見られた。当クラブも部員が倍増し一時小学生だけで200名以上が在籍していた年があった。
野球人気低落の危機を救った功労者が野茂だった。ブームで驕り高ぶっていたサッカーの頭を押さえ冷やしただけでなく、野球がベースボールであることを世界中に認めさせた野茂の功績は不滅である。
NOMO
の代名詞でもある「トルネード投法」は体全体を躍動させて球速を増す投げ方であるがこれは球技すべてに通じる原理に合致している。

サッカーでは「ロベカル」の名が付けられている弾丸シュートが有名である。ロベルト・カルロス(ブラジル)は濡れた芝生のピッチでポイントのないシューズでボールを蹴って練習したそうである。つまりボールと連動して体も前に滑走するキックである。対照的に踏み足を踏ん張って蹴る山なりのロングボールをわたしは「マツイ・キック」と名付けた。
「ロベカル」の練習を部員にさせるとき「イチロー・キック」と名付けてイチローのバッティングをTVで注目するように言って練習法を可視化させた。イチローが、バットを振った瞬間に体が前にスライドし同時に走り出す打法でメジャーでシーズン最多ヒット記録を塗り替えたことに感動して私はメールアドレスに数字262
を含めた。
またイチローが野手としてもアメリカ人を驚嘆させた先駆者であることは日米で常識である。

引退会見で子どもたちへのメッセージを求められてイチローは語った...。
野球だけでなくてもいいんですよね、始めるものは。自分が熱中できるものを夢中になれるものを見つけられれば、それに向かってエネルギーを注げるので、そういうものを早く見つけてほしいなと思います。
それが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁も、壁にも向かっていける、・・・それを見つけられないと壁が出てくると諦めてしまうということはあると思うので、いろんなことにトライして、自分に向くか向かないかというよりも自分が好きなものを、見つけてほしいなというふうに思います。

私の場合それを見つける
旅を1964年に始めた。発見まで4年かかった。今その道のりを追体験中であるが、今後どう記述するか、筆が進むか気がかりだ。
2019年4月4日は高槻フットボールクラブ創立50周年記念日である。引退して3年たった。引退式も記念式典も断った。わたしの生き方だから寛恕ねがいたい。