病院では種々の職種の人たち、はやり言葉で言うとエッセンシャルワーカーに援けられた。元気をもらった二人の看護師について記す。
Hさんは始終看護室長を担当してくれた。このひとの熱意と行動力に救われたと妻は言っている。勤務を終えた帰り際には必ず病室のドアを少し開けて笑顔をのぞかせていた。どれだけ安心感をもらったことか・・・。妻とは世間話をするほどに親しくなった。まもなく退職し結婚した。きっと幸せな家庭をもったと思う。
もう一人は、若いころ映画フアンとして魅了されていた女優ステファニア・サンドレッリ似の美人看護師である。退院まじかな一週間担当してくれた。何週間ぶりかのシャワーも使わせてもらい幸せな気分を味わった。
ピエトロ・ジェルミ作品の『イタリア式離婚狂想曲』や『誘惑されて棄てられて』での演技そのままに、にこりともせず、職務以外の事は一言もしゃべらなかった。不愛想は不埒な男の患者に付け入る隙を与えない護身術だったと思う。看護能力も高かったのだろう。まもなく救急外来に配置換えになった。
もし家族という拠り所がなかったらあのように病と闘うことはできなかった、とつくづく思う。家族の有難みを傍で観て、一生結婚しないと誓っていた次男が結婚観を改めた。
2本指のピーコ
ビビらず我慢することを教えてくれたのは家族の一員ピーコだった。10年前のクリスマスイヴの夕べ、長男が近くの歩道で動けなくなっていたのを拾って来た。妻(小鳥屋の娘)が懐に入れて温めると元気になった。
よく観るとひどい障害を負った雌鳥だった。指が2本しかないのだ。傷のいえた右足首に皮一枚でぶら下がっていた足をピーコは食いちぎったと妻は語った。生死にかかわるような、ひどい目に遭ったのだろう。
ピーコは鳥かごの中で指と嘴で柵に縋って昇り降りした。止まり木にとまることはできたが、外に出しても着地できないので飛ぶことはなかった。
わしづかみに手荒く扱って、半ばからかった私には、頭の羽毛を逆立てて歯向かって来て、なつくことがなかった。何ものも恐れず生き抜くそのタフな精神力にわたしは打たれた。入院中わたしは一度も弱音を吐かなかった。ピーコに負けてたまるかの一心で困難と闘った。娘からの便りに「おばあちゃんとピーコは元気」とあった。
入院中、サッカーの教え子二人がプロ契約をしたニュースに大いに勇気づけられた。二人とも小2のとき妻の教え子だった。二川は長いことガンバ大阪で10番を背負い、フアンに「ガンバのイニエスタ」と褒め称えられた。