手つかずの原始林と言えば誰しもアマゾンの広大な流域を想像するだろう。つい100年前までアマゾンにつぐ大森林地帯(アマゾンの4分の1)の熱帯雨林と亜熱帯常緑広葉樹林がブラジルの中・南部を覆っていた。Londrinaはその南限にあたり、それより南部は冷涼気候でパラナ松という針葉樹の巨木が多くなる。
MATA ATLÂNTICA(マタ・アトランティカ)と総称され、海抜600~1000mと表現される波打つ高原の森林は、大航海時代以来植民地化と開拓により徐々に失われ、現在ではもとの7%弱しか残っていない。今日、森林が残っているのは、傾斜地や環境保全地域などに限られている。
道路で分断され、孤島状になった保護地区の森林は生物種の宝庫であるが、その多くが絶滅の危機にさらされている。たとえばジャガー(現地名オンサ)は270頭ぐらいしかいない。
パラナ州では伐採、山焼きと同時に大型獣と野生の樹木はほぼ姿を消した。わたしはLondrina周辺のことしか知らないが、掘っ立て小屋の材料と開拓中の食糧となった椰子パルミット、それから故郷の桜を連想させて移民の郷愁を誘った山桜のようなイペーは消滅した。
Londrina州立大学の絵葉書から イペーの花 撮影 R.R.Rufino
ウチの農場近くに孤立した原生林があった。むせかえるような緑とひんやりとした湿気、樹木が発する香りと腐葉土の匂いに包まれると、身も心も洗われる心地がしたものだ。森林浴効果という昨今の表現が“ぴったりである。
1991年に44年ぶりに里帰りしたとき、森林の面影は、幹と樹冠だけの天を衝く巨木perobaが数本往時を偲ばせているだけだった。ジャングルはそっくり州立総合大学のキャンパスに変っていて、大学はシンボルツリーにちなんでPerobauと愛称されていた。若い学生たちは、かつてサルやトリの声が森中に木魂していた状況を想像できるだろうか。
野生の小生物で生き残ったのは、地を這い穴に潜る習性をもつものである。私の体験では、アルマジロ=現地名タツー、トカゲ、ヤマアラシ、ガラガラヘビをふくむ小型蛇類、大型カタツムリ、サソリ、アリ等である。シカ、イノシシ、サルは見なかった。
空を飛ぶ鳥類も開拓地で餌を得られるものだけになった。タカ類と死肉を漁る黒コンドル、スズメに似たチコチコ、ノバト等である。かつて無数に翔んでいたはずのインコ類はユーカリの実を食べるチリーバ1種しか飛来しなかった。湿地、沼沢地の生き物はこの限りでない。
最大の被害者は先住民のグアラニー族である。パラナ(海のような大河)、イグアスー(暴れる水)はグアラニー族が命名したものである。ウチの農場の湿地にあった湧き水の周りで土器の欠片を拾った記憶がある。小さな集団が生活した痕跡という感じだった。
想像だがグアラニー族は開拓前線が広がるに連れて移動と同化によりパラナ州から姿を消したと思われる。
パラナ州より南部の2州には、かつて多くの集落がありイエズス会宣教師の指導の下に「理想郷」を営む布教村もあった。
パラナ州の西に隣接するパラグアイではグアラニー語がスペイン語とともに公用語になっている。白人との混血95%、グアラニー族2%という人種構成を見る限り、グアラニー人はパラグアイではアイデンティティを確立している。
次章で、そこに至るグアラニー族の苦難の歴史(グアラニー戦争)に立ち寄ることにする。
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