外出するときは、時間がありそうならと、地図で付近をチェックする習慣があります。
きょう、江東区へ出かけました。帰り道に「清澄庭園」を発見、寄ってみました。
「清澄庭園」は、一説に紀伊国屋文左衛門の屋敷後と言われ、後、久世大和守の下屋敷、その後明治になり岩崎弥太郎が貴賓客の招待所として「深川親睦園」として開園、後に東京都の寄付されました。面積81,091.27㎡で回遊式林泉庭園だそうです。
3時近くになってしまったので、日は西に傾き撮影にはあまり向いていませんでしたが、土曜日でもあり、また入園料が150円と安いのでしょうか、多くの来園者がいました。写真に人が入らないようにするのが大変でした。

回遊路に沿って東屋のある中ノ島方向を。

「涼亭」数奇屋作りの建物は、明治42年国賓として来日した英国のキッチナー元帥を迎えるために岩崎家が建てた。

「大正記念館」大正天皇の葬儀に用いられた葬場殿を移設したが戦災で消失、貞明皇后の葬場殿の材料を使って再建された。

「芭蕉の句碑」基角堂九代目が近くに在った芭蕉庵に建てたものだが、敷地が狭く後に東京市に願い出てこの場所に移設された。
レーフレットの花暦によると春夏が一番花も多そうで、また来たくなる庭園でした。出来たら平日に。
きょう、江東区へ出かけました。帰り道に「清澄庭園」を発見、寄ってみました。
「清澄庭園」は、一説に紀伊国屋文左衛門の屋敷後と言われ、後、久世大和守の下屋敷、その後明治になり岩崎弥太郎が貴賓客の招待所として「深川親睦園」として開園、後に東京都の寄付されました。面積81,091.27㎡で回遊式林泉庭園だそうです。
3時近くになってしまったので、日は西に傾き撮影にはあまり向いていませんでしたが、土曜日でもあり、また入園料が150円と安いのでしょうか、多くの来園者がいました。写真に人が入らないようにするのが大変でした。

回遊路に沿って東屋のある中ノ島方向を。

「涼亭」数奇屋作りの建物は、明治42年国賓として来日した英国のキッチナー元帥を迎えるために岩崎家が建てた。

「大正記念館」大正天皇の葬儀に用いられた葬場殿を移設したが戦災で消失、貞明皇后の葬場殿の材料を使って再建された。

「芭蕉の句碑」基角堂九代目が近くに在った芭蕉庵に建てたものだが、敷地が狭く後に東京市に願い出てこの場所に移設された。
レーフレットの花暦によると春夏が一番花も多そうで、また来たくなる庭園でした。出来たら平日に。