1966年はコルトレーンが初めて日本の土を踏み(7月)、わが国のモダン・ジャズ・ブームが空前の盛り上がりを見せた年ですね。その頃、まだ、ジャズのジャの字も知らなかったが、新聞にステージの異様な模様が報道され、そんな音楽の世界が存在するものだ、と強烈な印象を受けた。
当時のジャズの潮流はコルトレーンが牽引する所謂「アヴァンギャルド」で、前年(65年)の”ASCENSION”に参加していたハバードもS・J誌では「前衛の闘士」として紹介されているほど。A・シェップは「コルトレーンが”ASCENSION”でしようとしたことを本当に理解出来たのはオレとハバードだけだった」と語っており、まんざら的外れではなかったようです(笑)。
そうした時代背景の中、BNからアトランティックに移ったハバードの1stアルバム”BACKLASH”が録音されたのがこの年(1966年10月19日)で、予想に反しソウル・ミュージックをも取り入れ、「すべてのものに興味を持ち、自ら制限を設けない」と、ライナー・ノーツで語っている通り、実に自由奔放な作品だった。
ハバードのリーダー、サイドの作品を時系列に辿っていくと、もうBNというマイナー・レーベルの枠内では収まり切らない力量を既に身に着けていて、BN最後の録音となる1966年3月5日の2曲(後年発表)を聴くと、なぜ、一枚分、続きが録音されなかったのか、よく分かります。つまり、その兆候は既に”BLUE SPIRITS”(BN4196)に表れており、「新主流派」スタイルに拘らず新しいフィールドへチャレンジしたい思いが強く募ったのだろう。「新主流派」スタイルの先導的役割を果たしたハバードにとって当然の帰結です。
因みにマイルスは”MILES SMILES”(1966年)、”SORCERER”(1967年)”NEFERTITI”(1967年)を録音している。
キャッチーなソウル・ナンバー2曲、ラテン・フレーバーを粋に効かし、彼の代表作になった“Little Sunflower”、スリリングな”On The Queー Tee”、J・M時代からの人気ワルツ曲”Up Jumped Spring”、そしてミンガス調の”Echoes Of Blue”と実に多彩ですが、総花的になっていないのは、自信と確信に裏打ちされた「チャレンジ・スピリット」が貫いている証です。
サイドもいい仕事をしていますよ。スポールディングはあの辛口評論家の粟村氏が高く評価していたas奏者ですが、ここではflでも貢献しています。また、後にゲッツに気に入られ、活躍するA・デイリー(p)の小気味いいプレイも聞き逃せません。
特に好きな曲は”Up Jumped Spring”でリリカルな曲想の中、徐々に音を詰め込んでいくハバードの背後からアップルトン(ds)がビシバシと打ち込む展開が何とも言えない快感を呼びます。
半世紀以上も前の録音なのに今の耳で聴いても、その刺激性はちっとも色褪せていません。それどころか急成長中の若者が放つ「オーラ」さえ感じさせ、これはちょっとした傑作ですね。
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