多数決というのは、人間が考えた最高の愚行ではないかと思う。
何ごとかの相談がまとまりかねたとき、決定手段として多数決にするのはやむをえないかもしれない。
ただし、それまでに論議が尽くされた末のことならばという条件付である。
それでも相手を説得できなかったという弱みは消えてなくならない。
説得に応じなかった人が、意味のない意固地でがんばるのも愚行で、愚行が愚行を支えることになる。
ひどいのになると、まったくの論議なしにいきなり多数決というのもある。
組み替え直後の学級委員の選挙などはそれに近い。
悲しいことに、議会議員の選挙なども、それに近づいている。
どんな人か、何をするかもわからずに、○○党という標識だけを見て名前を書き箱に入れる。
そんなことに、政治への参加、唯一の権利行使とか、国民の義務とか、奇妙な理由で足を運ばせられる。
選挙というのは、人間が考えた崇高な愚行のように思える。
芸能界で、人気投票に選挙という名をつけて遊ぶことを考え出したのは、何だろう、皮肉のつもりなのだろうか。