「水道光熱費」という経費勘定科目がある。
水、燃料、電気に経費がかかるのは、事業のためとは限らない。
一般家庭の生活でも、野営でなく住居で暮らす限り、必ず消費する基本財の費用である。
それらを欲しいときに欲しいだけ使える世の中が、だいぶ長い間続いていたが、いつでも無制限というわけにいかないことに気づかされ、いま人々はまごまごしている。
何十年か前に、気の狂った外国人が落とした爆弾で、ひどい目にあった日本人は、性懲りもなくその爆弾と同じエネルギー源を使って電気を作る装置を、「平和利用」などと無理やり理屈をつけて使い始めてしまった。
その平和利用もあてが外れ、天地の怒りで電気を作っている場所が大きく揺さぶられ、水までかぶり、発電施設を動かせなくなった。
エネルギー源が放射性物質という厄介きわまるものだったから、慌てふためいた政府の要人は、何の異常もなく動いている発電施設まで止めさせる号令をかけてしまった。
原子炉は、静かに寝かせておけば安心というものではないことに気づいていなかったらしい。
原子力発電をもともと嫌っていた人たちは、今こそとばかりに、原子力発電をまったく使わず他のエネルギー源ですぐにでも電気の需要をまかなえるなどと、言い分にあわせた計算をして見せ、やめさせるならこのときしかないと躍起になっている。
実際に原子力なしで試してみて、いよいよだめとわかったらそのとき考えれば、などと暢気なことを言う人も出てくる。
超広範囲の人々が、みな電気を使わない、キャンプ同様の生活を交替で味わいながら、誰かがうまい知恵を出してくれるのを待とうというのか。
そのとき生産は制限されても、公共施設と有力者の住居の周辺だけは平常と変わらず電気は供給される。
太陽光や風力など、お天気まかせの発電では、欲しいだけ電気が作れるはずがないのに、その装置を巧く作ればウハウハとばかりに、実用にならない製品があふれる。
誰かが計算して間に合うと思うことにしておけば、社会全般のエネルギー消費がそのとおりになるなどという夢のようなシステムは、この世にはまだない。
あるだけで間に合わせられる度合い、それはあらかじめ貯めておけるかどうかにかかる。
人間が使う電気エネルギーの総量に見合った電気量を貯めておける入れものは、肩にぶら下げるとか車に積んで持ち歩けるようなお手軽なものではない。
そのうえ、中味の出し入れが、くるっと栓を回せば簡単にできる水のようなわけにはいかない。
どんな装置も、それを作り上げるまでにはものすごい量のエネルギーが必要なのだ。
ピラミッドは、大昔の人間の頭と力で作り上げられた。
現代の人間には、エネルギーを使う頭はあっても、自分の体を動かして何かを作りあげる力は、もう出せなくなってしまっている。
家を建てたり、畑を耕したり、そんな仕事さえ、機械の世話にならなければ手も足も出ないのだから。
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