世の中が平穏無事のときには、国民は政治への関心を持たなければならないという声がしばしば聞かれる。
世の中がいい加減になって、国民の方もいい加減嫌になってくると、この声はパタッとやむ。
声がかからないというのは、関心度合いがちょうどよくなっているのだ。
誰にちょうどよいのか、どのくらいならちょうどよいのか、それを判定する人はいない。
政治には判定という機能はなじまない。
総選挙が国民の審判などと呼ばれることもあるが、審判というのは、すでに行われたことに対して下されるものだから、選挙を審判というのはおかしい。
これから必要なことに、過ぎたことを判定材料しても遅いのだ。
ダメだったから次はこっちなどと、着せ替えゲームのようなことですまされてはかなわない。
政治は政治家に任せておけば国体も国民も安泰でいられる、これが政治のもっとも優れた状態である。
もし国民総政治家を目指さなければならないことになったら、それこそ無力政治の究極に堕ちこんだときである。
ノンポリ・バンザイでいられるようにしっかりやっておくれ。
政治家には政治という仕事しかないのだから。
芸人や芸術家の真似はして見せてもらわなくても結構。
せめて、憎しみだけという最も不幸な関心を持たせないよう、心がけて欲しい。