むかし、他社にいた知人から、「おれの立場はどうなるんだ」と電話でねじ込まれたことがありました。
ことの次第は、今になっては思い出せないほど大したことではなかったのですが、そのときその人はよほど始末に困ったのでしょう。
韓国に、「易地思之」と漢字で書かれる言葉があります。
Google翻訳音声では何度聞いても「イーベーシーチー」と聞こえますが、漢字の読みをつなげていってもその国の言葉にはなりません。
日本語では、「私の立場をお考えください」という意味になりそうですが、次元の違いは"お考え"というところにありそうです。
日本語とその国では、言葉の意味の次元が違うからです。
日本語での"お考え"には、この言葉で呼びかけている"私"の相手が考えてくれることに期待が込められています。
ところが「易地思之」(ヨクチサジ)では、"お考え"は"ください"ではなく、お考え"になるもの"と決めつけているようです。
長年、"されること"や"してもらうこと"が外交態度の根底にあり続けてきたその国では、相手は常に自分のためにあるものとしか考えないのでしょう。
そういう国がすること、言うことに、やまと心で説得や抗議をしても、何の役にも立ちません。
効き目があるとすれば、説得、抗議を続ける辛抱強さを示すことによって、こちらの人々の憤懣を抑え込みながら爆発を避ける、江戸時代からの鷹揚力学の再学習にしかならないのです。