ものごとについて知ることと、そのとおりだと認めるかどうかの判断は、異次元のことです。
話題に載せることを避けたがるのは、知ってしまうと、それを認めなければならないと思い込んでいるからでしょう。
どうでもよいことを知りたがり、だいじなことを知ろうとせず、疑問を持とうともしない、無駄話が増えそれが絶えれば沈黙、これでは座が持ちません。
座が持たなくなって長期欠席、そんな愚行を繰り返さないよう、N町の集まりをただの稼業としないために、まず本当にだいじなことを互いに知る、そこからの再出発を望みたいものです。
ことがらをネタにして人を責め合う、1日3億円かけてのたちのよくない無駄話は、ぜひやめてほしいと思っています。