"忘れもの"と"もの忘れ"、同じ文字を組み合わせたこの二つの言葉は、忘れることへのかかわりは似ていても、まったく違った次元のことがらを表しています。
忘れものはものごとが対象で、もの忘れは現象の表現という次元の違いです。
忘れものが、未来のことであるうちは、身の回りのものすべての範囲から、次の行動にかかわりの深いものが対象にはなっても、その範囲は大きな広がりを持っています。
それが忘れられたとき、忘れる前には定まってなかった対象が限定され、アレを忘れたということになります。
もの忘れは、忘れる対象が絞られることはありません。
忘れものももの忘れも、罪の意識を巧みに遠ざけながら利用されると、ある意味で始末の悪いことにもなります。
「忘れちゃった」と言われてしまうと、忘れたことを認めてなんとかその場の状況を解消するしかないからです。
忘れることは責められないといっても、怠惰の免責にはなりません。
多くの人々にとっていちばん困る忘れものは、国会議員が国会の目的を忘れて、そこを生活の場にあてているということでしょう。