取材取材としきりに口にするニュース屋さんがいます。
そういう人は、「私の取材によると、こんなことがあった」と、"私の"を強調します。
私はうそをつかないと言いたげに聞こえます。
TVは半分ウソとつねづね思っていますが、"私の取材"は常にホント側にいると言いたいのでしょうか。
"取材した"からといって、取材対象がウソの塊だったら、その取材の中身はウソでしかありません。
ニュースからホントのことを知りたがる人と、ウソに興味を持つ人との割合はわかりません。
ニュース屋さんは顧客の意向だいじにしたほうが売れ行きがよいので、もしウソを好む人が多ければニュースのウソはどんどん増えていくでしょう。
一つの出来事を扱っても、ニュース屋さんが"取材"することと、真摯に"報道"されることとは、次元が違うような気がするのですが、いかがでしょうか。
あ、そうそう、取材は報道の仕事の準備なのでした。
確かなことを報せる、そこにどのくらいのエネルギーが傾注されているかによって、報道の値打ちが定まることを忘れてもらうと、報道を待っている人には、カスカスのニュースが目と耳に押し込まれるので、それはごめんこうむりたいと思います。