学問には、学者と呼ばれる人が権威を持続するための学問と、学者でなくても学んだことを世に役立てるための学問という二通りの次元があります。
権威学問のほうは、何十年も前に身につけた古いことでも、それと違うことを言うと変節とみられるのを怖れてか、一生一偏の考えにかじりついて、それを曲げにくくするという特性をもっています。
国情に大きな変化のあったときには、権威学問を尊重してきた人ははたと困惑するでしょう。
そのとき、ある意図のもとに、「これを目指せ」という指令が大きな力で与えられれば、困惑はたちまち解消します。
その後は、この考えを変えてはならないと、権威学問に適性の合致した先生方が唱えれば、義務教育にもそれが徹底され、新聞の社説や目を引きやすい小論欄にも、同じ路線の記事が載ります。
著名な大学の入学試験にもその新聞記事が使われるとなれば、そこで小さな渦が回り始めます。
権威学問を巧みに詰め込まれた学生は、卒業後、権威学問を身につけた先輩のそろっている官庁、教育機関、報道機関に好条件で職を得ます。
そこには半世紀以上も前に示された指令の意図に引きずられたままの大きな渦が回り続けていて、力を持ってしまったその渦は、なかなか止めるとこができません。
権威学問の効用が、古ぼけた指令の意思を護り続けるだけというのでは、何とも情けないことではありませんか。