・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

効率的協議

2012年06月15日 | つぶやきの壺焼

<会議の効率的運営法>

勝手にしゃべらせるだけで議論もなし。
意見一致部分のみ取り上げて結論とする。

問題点も争点も明らかにならずに終わる。
問題のないこと、争いごとの起こらぬことを理想とする。
開催の都度、全員一致強力、成果は上々。

 

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磨くより削るほうがキズがつかない

2012年06月14日 | つぶやきの壺焼

鉛筆を1本1本ナイフできれいに削って、いつもペン皿に10本ぐらい揃えておく人がいた。
書けば減る道具だから、極細の線を引くには、減ったら取替え、減ったら取替えて、書き続けるための準備だった。

金属の表面を超微細に加工するには、最後に磨きあげるものと思っていたが、それは違うらしい。
磨くよりも削るほうがキズが残らない、そういう削り方があるという。

 http://techon.nikkeibp.co.jp/article/FEATURE/20101006/186235/

 http://techon.nikkeibp.co.jp/article/FEATURE/20101007/186283/

削り方が当然高速でなければならないから、鉛筆のように磨耗する工具では到底間に合わない。
減らない工具、それが決め手という。
減らず口は憎まれものだが、減らない工具は宝ものである。

 

NT デザインナイフ D-400P
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想定と思い込み

2012年06月13日 | つぶやきの壺焼

「ダメな“システム屋”で終わりますか」という記事があった。

どういうところがダメなのか。

▼「想定外」をすぐに持ち出す。
想定の範囲が狭ければ、想定外は簡単にできる。

▼これこそ「ベスト」とすぐに言う。
享受の範囲が狭ければ、ベストは簡単にできる。

共通のキーワードは「すぐに」、「狭い」、そして「簡単」だった。
狭くて簡単、パッと見てすぐにああそうか、思い込みのもとはだいたいこの仲間。
わが身を言い当てられたようで、なんともはや。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20111208/376242/?nbomag
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20111129/375224/?nbomag

「想定外」の罠―大震災と原発
柳田 邦男
文藝春秋



 

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何を目指したいのか

2012年06月12日 | つぶやきの壺焼

事を起こそうとするとき、何を目指したいのかがはっきりしなければ、共同の力は働かない。
うどんをつくるのか、だんごをつくるのか、それがはっきりしなければ、粉を混ぜてくれといきなり言われても手の下しようがない。

「全体像の力~グランドデザインはあなたが描く」という記事を見かけた。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20111212/225116/?mlt

ハウ・ツウの寄せ集めではモノはできあがらない。
こうすればできますということと、こうしようということは、別のことなのだ。

スティーブ・ジョブズ I
井口 耕二
講談社



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要素をなくす

2012年06月11日 | つぶやきの壺焼

なくならないものを、なくそうとするのは無理。
ないほうがよいものを、そのまま置くのは無精。

「ヒューマンエラーの再発防止」には分析のコツがいるという記事があった。
せっかくのご説だが、ヒューマンエラーは、どんなことをしてもなくならないものだから、分析を巧くやったところで、人間のどこから出てくるのかわからない、いわば全人的に発生するヒューマンエラーを、部分の論理で防ぐことは難しいだろう。

足が痒くなったので頭をぶつけてしまうということもある。

「漏れのない課題の摘出で、抜けの無い仕組みの構築を」
「前提条件を整理し、分析上の除外要件を明確に」
とも書かれている。

考えた末、漏れがないと思うことにしても、考えたくないことは残り、そこが抜け落ちる。
条件整理は、かならず例外を生み出し、「その他」という名の入れものに放り込まれる。
ヒューマンエラーという奇妙な現象は、目に見える原因からは起き難いから、中味の目立たない「その他」や、その他にも入れてもらえない除外要件に潜り込んでしまえば分析の対象にならない。

エラー探しの人間行動そのものがヒューマンエラーに見えてくる。
確かな決め手は、ヒューマンアクションを極力減らすこと、分析上の除外要件ではなく、システム上の除外要件を明確にしていくところにありそうだ。

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大きな顔の少数力

2012年06月10日 | つぶやきの壺焼

車を自分で使わなくなってから、ガソリンの価格を気にする機会が減った。
それでもスタンドの前を通り、大きな文字で出ている値段を見ると、え、と思う。
ガソリンの値札は、街を歩いて見かけるどの値札よりも大きい。
さあどうだ、これでも買わずにはいられないだろうと、立て看板がふんぞり返っているように見える。

精製前の原油価格には世界中に幅をきかしている指標があった。
WTI(West Texas Intermediate)と呼ばれる、テキサス州西部からニューメキシコ州南東部にかけて産出される原油だが、これが世界の原油シェアのわずか1%程度に過ぎないのに。

WTIは、低硫黄の軽質油、少数の力にものを言わせ、価格が高いとされていたが、アメリカの景気や供給過剰のおかげで、ほかの産地の原油より安くなってしまった。

航空会社や石油製品会社は、もはやWTIを参考にしていないという話もあり、他の産油国で原油指標にWTIを使わないと決めたところもあるという。
http://cmad.nikkeibp.co.jp/?4_136236_69448_3

ブラジルも産油国に加わった。これからどうなっていくのか。
インターミディエイトという名が、実体にふさわしいものになっていきそうな気がするが、どうだろうか。

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老齢福祉とはどういうことか

2012年06月09日 | つぶやきの壺焼

<老齢福祉施設へのいくつかの疑問>

何でも喜ばれるのはよいことか
できる限りしてあげるのはよいことか
豪華な至れり尽くせりの施設はよいところか
高齢者は遊ばせるのと学ばせるのとどちらがよいか

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20111208/224956/?mlt

おいしい水を飲みましょう
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仕事と役割

2012年06月08日 | つぶやきの壺焼

あるとき、環境政務官が、東日本大震災で発生したがれきの放射線量の測定について「国が測ったのでは信用してもらえない。国も測っているが、その上で自治体にも測ってもらいたい」と発言したと報じられていた。

大臣政務官という仕事は、府省の長である大臣を助け、特定の政策及び企画に参画し、政務を処理することときいた。

政務官の発言なら、自治体の測定努力をねぎらい、国の測定結果と通報が、確かなものであることを維持できるようにつとめる宣言でなければならず、そのうえで対策を練るのが政務官としての仕事のように思うのだが。
任命のされ方がどうであろうと、「特定の政策及び企画に参画」という役割の条件が決まっていても、それを逆手にとって、アッチムイテホイとばかりに、やる気のなさをへらへらしゃべるようでは、なんとも頼りないではないか。

いま逆風のさなかにある環境という仕事であれば、なおのこと嵐の中に平然と立つぐらいの姿だけでも見せて欲しいものである。
甘えた顔をしていてはいけないノダ。

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ギャグとギミック

2012年06月07日 | つぶやきの壺焼

似ていて違うギャグとギミック。

ギャグは発信者が楽しみ、見聞きする人はおつきあい。
ギミックは発信者が楽しみながら、見聞きする人も楽しませようとする。

ギャグには騙しの意図はない。
ギミックは騙しにも使われる。

善意の度合いを問われると、さて。

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個人感情と個人情報

2012年06月06日 | つぶやきの壺焼

人に知られたくないことは、「教えない」という返事の代わりに「個人情報だから」と言っておくと、根掘り葉掘り聞かれないで済む。
この返事の仕方は、黙って返事をしないより、もっときつそうに思うけれども。

こういう場合、個人情報と呼びはしても、情報というほどのものではないことが多い。
それほどだいじでもなく、中味はたいしたことでない、感情のかけらぐらいの、ごく寿命の短い心の動きのほうが、知られて嫌なこともある。

家族には知らないことがあってはいけないなどと、ホームドラマなどでときどき聞くせりふがあるが、なにからなにまで知らせておかなければというのは、ずいぶん息苦しい話だ。
気楽なはずのホームドラマが、ベタベタであったり、チクチクしたり、なんとも感じが悪いのは、感情の起伏や感動の波風で、ドラマを際立たせる量産定式から抜け出せなくなった作者が多いからだろう。

またかのような感情表現は、見聞きする側には邪魔でしかないのだが。

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思いを伝える

2012年06月05日 | つぶやきの壺焼

「思いを伝える文章の書き方」というメルマガの標題を見かけた。
書物の紹介なのだが、それをみると、伝えようとする側にとって大切なことが三つあるという。

(1)伝えたいことがあるか
(2)相手の視点に立てるか
(3)利他の心はあるか

思いを伝えるのになくてはならないのは相手、だから3分の2ほどは相手のことを考えなければならないというわけ。
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20111207/202320/

なるほどと思う。しかし、この考えを国際外交にとりいれたらどうなるか。
犯してもいない罪の妄想におびえて、話の成り行きでうっかり謝ったりしたらさあ大変。
そのあと未来永劫に、してもいないことを責められ、負い目を負わされることになる。
外交でヨイコぶるのは厳禁無益なのだ。

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政治への関心とは

2012年06月04日 | つぶやきの壺焼

世の中が平穏無事のときには、国民は政治への関心を持たなければならないという声がしばしば聞かれる。

世の中がいい加減になって、国民の方もいい加減嫌になってくると、この声はパタッとやむ。
声がかからないというのは、関心度合いがちょうどよくなっているのだ。
誰にちょうどよいのか、どのくらいならちょうどよいのか、それを判定する人はいない。

政治には判定という機能はなじまない。
総選挙が国民の審判などと呼ばれることもあるが、審判というのは、すでに行われたことに対して下されるものだから、選挙を審判というのはおかしい。
これから必要なことに、過ぎたことを判定材料しても遅いのだ。
ダメだったから次はこっちなどと、着せ替えゲームのようなことですまされてはかなわない。

政治は政治家に任せておけば国体も国民も安泰でいられる、これが政治のもっとも優れた状態である。
もし国民総政治家を目指さなければならないことになったら、それこそ無力政治の究極に堕ちこんだときである。

ノンポリ・バンザイでいられるようにしっかりやっておくれ。
政治家には政治という仕事しかないのだから。
芸人や芸術家の真似はして見せてもらわなくても結構。

せめて、憎しみだけという最も不幸な関心を持たせないよう、心がけて欲しい。

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多数決という便法

2012年06月03日 | つぶやきの壺焼

多数決というのは、人間が考えた最高の愚行ではないかと思う。
何ごとかの相談がまとまりかねたとき、決定手段として多数決にするのはやむをえないかもしれない。
ただし、それまでに論議が尽くされた末のことならばという条件付である。

それでも相手を説得できなかったという弱みは消えてなくならない。
説得に応じなかった人が、意味のない意固地でがんばるのも愚行で、愚行が愚行を支えることになる。

ひどいのになると、まったくの論議なしにいきなり多数決というのもある。
組み替え直後の学級委員の選挙などはそれに近い。
悲しいことに、議会議員の選挙なども、それに近づいている。
どんな人か、何をするかもわからずに、○○党という標識だけを見て名前を書き箱に入れる。
そんなことに、政治への参加、唯一の権利行使とか、国民の義務とか、奇妙な理由で足を運ばせられる。

選挙というのは、人間が考えた崇高な愚行のように思える。
芸能界で、人気投票に選挙という名をつけて遊ぶことを考え出したのは、何だろう、皮肉のつもりなのだろうか。

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尽くしてこその万策

2012年06月02日 | つぶやきの壺焼

尽くさぬうちに万策尽きる、尽きたことにしてあきらめる。
底の抜けた原子炉の、底だけは何とかふさごうと、コンクリートで固めていく案が出されていたという。

そんなやりかたでは1年もかかるからダメとはねつけられ、底抜けのままで1年経過。
ダメと言ってしまった方法は、もう採り上げるわけにいかないという、意固地かプライドがじゃまをする。
実際にはありもしない霞の向こうにちらつく精神的障壁をじゃまものに仕立てておけば、都合よく一皮だけの万策は尽きる。

サルでもラッキョウをむくときは、どこまでもむくというたとえがあった。
もう一皮ぐらい、むいてみる気はないのか。

何をどうしているのか、それが報らされずに、安全談義だけが右往左往、セツメイセキニンという言葉もメルトダウンか。

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救いの手に必要なもの

2012年06月01日 | つぶやきの壺焼

富はどこかから削り落として分け与えられるものではなく、余らなければ分配されない。
分配行為は気まぐれに行われる。気まぐれ度が高いほど、喜ばれる。
バラマキは、思いがけないほどありがたがられる。
ありがたがるのは、思いがけない分配を受けた人たちと、バラマキはけしからんという論評の材料を拾う人たちである。

富の総量が一定であれば、どこかへの分配を増やすには、どこかを削り取らなければならない。
これでいいと思っている人々にわざわざ手を差しのべるには、世界の富の総量が増えていくという前提が必要である。

富が動く方向と、その割合はおおよそ決まっている。
富のほとんどは、積んでも仕方がなさそうなところに向かって集まっていく。
富が向かえばよさそうなところには、ごくわずかの部分しか流れていかない。その方面への流れは、富とは呼べないような形に変わっている。

2000年の歴史のうちに、人類には、富の分配様式のこういう習慣が沁み付いてしまった。

優しい顔をして手を差しのべる数少ない人がいる。差しのべる手には手助けがいる。その手助けは、大勢の弱者の負担でしなければならないように仕組まれている。
手を差しのべる人は、差しのべるだけで自分の手は汚さない。口は出しても手は動かさない。下手に手を動かせば、覇者であり続けなければならない宿命に逆らうことになる。
「2位ではだめなんですか」という間抜けなあの発想は、2位を叩くのが覇者の仕事で、その行為が1位を争うだけでしかないことを見落としたか、あるいは憎く思ったか、そんなところから出たのだろう。

いろいろ考えていたら、奇妙なことが一つわかった。
救いの手になくてはならないものは、それを待つ人だったのである。

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