・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

別次元:30 忘れる

2019年01月16日 | つぶやきの壺焼

"忘れもの"と"もの忘れ"、同じ文字を組み合わせたこの二つの言葉は、忘れることへのかかわりは似ていても、まったく違った次元のことがらを表しています。
忘れものはものごとが対象で、もの忘れは現象の表現という次元の違いです。

忘れものが、未来のことであるうちは、身の回りのものすべての範囲から、次の行動にかかわりの深いものが対象にはなっても、その範囲は大きな広がりを持っています。
それが忘れられたとき、忘れる前には定まってなかった対象が限定され、アレを忘れたということになります。

もの忘れは、忘れる対象が絞られることはありません。

忘れものもの忘れも、罪の意識を巧みに遠ざけながら利用されると、ある意味で始末の悪いことにもなります。
「忘れちゃった」と言われてしまうと、忘れたことを認めてなんとかその場の状況を解消するしかないからです。
忘れることは責められないといっても、怠惰の免責にはなりません。

多くの人々にとっていちばん困る忘れものは、国会議員が国会の目的を忘れて、そこを生活の場にあてているということでしょう。

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別次元:29 力の違い

2019年01月15日 | つぶやきの壺焼

武力を持たなければというと、すぐ争いが起きるからよくないと言い出す人がいます。

争いを起こさないための武力、小さな争いを鎮めるために役立つ武力があることを、知ろうともしない、考えてもみない人たちです。
武力は知ってはならないこと、考えてはならないことどころか、そういう力があることさえ教えてはならないとされてくれば、武力を考えるのも悪いことという奇妙な観念が、義務教育のなかでしっかり植え付けられます。

人と人、あるいは人と他の生物との間に起きる争いに使われる"暴力"と、国と国、あるいは民族と民族の間の争いを強めたり鎮めたりする"武力"とは、行使する組織も意図や目的も違う次元のものです。

武力と暴力、武力を使う軍隊と暴力を使う団体の区別がついていない、いまどき珍しい国や民族もあります。
その国が今に至る長い歴史の中では、盗賊が王朝となり、また別の盗賊が王朝の座を奪い取るという戦いが繰り返されてきました。
そういう国が相手のときには、武力はよくない平和が何よりなどとゆったり構えていると、あるとき一斉暴力行使によって、生活の場も、人の命さえも奪い取られることを見定めておかなければなりません。

考えなければ悪いことは起こらないというのは、第X次元の妄信でしかないのです。

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別次元:28 発想の次元

2019年01月14日 | つぶやきの壺焼

毎年今頃になると、気分の悪いはがき大の郵便が来ます。

内容は源泉徴収票で、家の者は「こんなにもぎ取られて」とぶつぶつ言っていますが、こちらの気分の悪さのもとは、中身のことより前に受け取った途端に目に入ってくる、真っ黒に塗りつぶされた枠と見出しの黒帯にあります。

もし、同窓会の開催通知にこんな形のはがきを送ったら、それこそ総攻撃に会うでしょう。

早く片付いてしまえとでも催促されているような、こういう不愉快な様式を、何の抵抗もなく普通に思いついてしまうのは、きっと別の次元に働く頭を持っている人たちなのでしょう。

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別次元:27 学問の次元

2019年01月13日 | つぶやきの壺焼

学問には、学者と呼ばれる人が権威を持続するための学問と、学者でなくても学んだことを世に役立てるための学問という二通りの次元があります。

権威学問のほうは、何十年も前に身につけた古いことでも、それと違うことを言うと変節とみられるのを怖れてか、一生一偏の考えにかじりついて、それを曲げにくくするという特性をもっています。

国情に大きな変化のあったときには、権威学問を尊重してきた人ははたと困惑するでしょう。
そのとき、ある意図のもとに、「これを目指せ」という指令が大きな力で与えられれば、困惑はたちまち解消します。

その後は、この考えを変えてはならないと、権威学問に適性の合致した先生方が唱えれば、義務教育にもそれが徹底され、新聞の社説や目を引きやすい小論欄にも、同じ路線の記事が載ります。
著名な大学の入学試験にもその新聞記事が使われるとなれば、そこで小さな渦が回り始めます。

権威学問を巧みに詰め込まれた学生は、卒業後、権威学問を身につけた先輩のそろっている官庁、教育機関、報道機関に好条件で職を得ます。
そこには半世紀以上も前に示された指令の意図に引きずられたままの大きな渦が回り続けていて、力を持ってしまったその渦は、なかなか止めるとこができません。

権威学問の効用が、古ぼけた指令の意思を護り続けるだけというのでは、何とも情けないことではありませんか。

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別次元:26 願望と性癖

2019年01月12日 | つぶやきの壺焼

破壊願望という言葉をときどき耳にします。

なんでもぶち壊したい人の気持を言い表しているつもりなのでしょうが、この言葉は、やや無理繋ぎのような気がします。
いまあるものを壊したいのは、そのものが邪魔なのではなく、また壊れた状態を望むのでもなく、ただ壊したい、快感が得られるわけでもないのにそうしたいということなのでしょう。

そうだとすれば、破壊には願望などという、いくらかの優しさをもった言葉は繋がりにくいのです。
願望ではなく主義、それが言い過ぎなら破壊性癖とでも言うのでしょうか。

願望は、"壊したがる"性癖とは別の次元か、あるいは性癖のなかでときどきちらっと現れる現象なのかもしれません。

願望は抑えられても、性癖を抑え込むことは、本人の自覚がなければできることではありません。
どうすればよいのか、とりあえずは相手にしないのが一番でしょう。
では二番目は、本人の動き方次第です。

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別次元:25 取材と報道

2019年01月11日 | つぶやきの壺焼

取材取材としきりに口にするニュース屋さんがいます。
そういう人は、「私の取材によると、こんなことがあった」と、"私の"を強調します。
私はうそをつかないと言いたげに聞こえます。

TVは半分ウソとつねづね思っていますが、"私の取材"は常にホント側にいると言いたいのでしょうか。
"取材した"からといって、取材対象がウソの塊だったら、その取材の中身はウソでしかありません。

ニュースからホントのことを知りたがる人と、ウソに興味を持つ人との割合はわかりません。
ニュース屋さんは顧客の意向だいじにしたほうが売れ行きがよいので、もしウソを好む人が多ければニュースのウソはどんどん増えていくでしょう。

一つの出来事を扱っても、ニュース屋さんが"取材"することと、真摯に"報道"されることとは、次元が違うような気がするのですが、いかがでしょうか。

あ、そうそう、取材は報道の仕事の準備なのでした。

確かなことを報せる、そこにどのくらいのエネルギーが傾注されているかによって、報道の値打ちが定まることを忘れてもらうと、報道を待っている人には、カスカスのニュースが目と耳に押し込まれるので、それはごめんこうむりたいと思います。

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別次元:24 預託の理由/お宅の事情

2019年01月10日 | つぶやきの壺焼

「殴られたあとが痛いから賠償金よこせ!」
『痛いって、いつの話?』
「70年前だ」
『ああ、殴った覚えはないけど、あんたのおじいさんがあんまり痛がるからお見舞いあげといたと、ちゃんと日記に書いてあるのに』
「そんなの知らない」
『そのとき大家さんに相談したら、いま渡しても有り難く思わないから預かっとくよって言うんで、大家さんに預けてあるんだよ』
「そんなの知らない」
『大家さんに聞いてみて』
「いや、もう裁判所に訴えた」
『大家さんが困るんじゃないの』
「大家に相談なんかしない、裁判所はあらためて請求しろって言ってる」
『大家さんはなんて言ってるの』
「知らない、そんなこと聞いても返事なんかしてくれないよ」

古傷さえもない、むかし痛い目にあったというその言葉だけに、賠償請求しなさいとけしかける最低裁判所があります。
それがまるで異次元の国の話ではなく、同じ地球上の海のすぐ向こうの変った人たちが、いま騒いでいることなのです。

言いがかりをつけられ巻き込まれた人は、つい面倒だからと、いくらかでも渡してしまうという最悪のポカを決して打ってはなりません。
うっかり話を聞いてしまったら催眠術にかかります。
決して相手にしないよう、N町から安心のお墨付きと交渉禁止令を早く出してほしいと思います。

国民の9割以上が迷惑をこうむることに、自由気ままは許されないのです。

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別次元:23 国籍

2019年01月09日 | つぶやきの壺焼

国をまたがる事件では、それにかかわった人の国籍が、いちばん気にかかります。

私たちの目で見て随分ひどいことをすると思っても、当事者には罪の意識が全くない場合があります。
勤め先で賄賂を全く手に入れなければ、家に帰って無能者と罵られる国もあって、その人にとっては収賄が罪どころか手柄なのです。
罪だ罰だといっても、別の次元からの判定は下しようがありません。

つい最近の事件のニュースを拾ってみます。

「台湾の内政部(内政省)刑事局は7日、ドイツ化学大手BASFの台湾子会社に勤める技術者ら6人を、同社の半導体関連の化学薬品製造技術を中国企業に漏えいしたとして営業秘密法違反の疑いで拘束したと発表した」

どのサイトを見ても、この事件で身柄を拘束された人の国籍が書かれていません。

(例1) 6人のうち1人はBASFの台湾法人の現職技術者。ほか5人も同社に勤務した経験がある
(例2) 技術部門のトップをつとめる現地の幹部や元工場長など合わせて6人

どういう人かを見て取るのに、これから話を聞こうとする相手なら、どんな仕事をしているのか、していたのかということも参考になりますが、国際事件で捕まった人のしていた仕事など、知らせてもらってもあまり役には立ちません。
どこの国の人なのか、それがはっきりしなければ、やってしまったことへの罪の深さへの意識を推し量ることもできないではありませんか。

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別次元:22 カナ漢字

2019年01月08日 | つぶやきの壺焼

何か新しいことをしたいとき、"提案"と言うと横を向く人も、"ピッチ"と呼んでみると何だろうと顔を向けてくる、カタカナにはそんな奇妙な力があります。

こちらを向いた人のなかには、ピッチって何だろうと、これまでその言葉に付き合いのなかった人も含まれ、人数を増やす効果はそこでまた増えるでしょう。
ピッチは"売り込み"ですから、提案より軽い感じがしますが、軽いから乗りやすいとも言えます。

中身の同じことを、漢字言葉で表すのと、カタカナ言葉で表すのとでは、どこか次元がずれてくるものです。

自分の名前にピッチをつけて懇談会の名前にし、人を集める閣僚もいます。
その懇談会は、将来の科学・技術の進め方を考えていくための意見交換の場といわれていますが、閣僚がこの種の会を牽引しなければならないというのもおかしな話です。
こういうだいじなことを所管するはずの文部科学省が機能不全に陥っているので、仕方なくということなのでしょうか。
交通機関に例えてみると、運行指令を出す役目をもった人が機関車の運転手をしているようなもので、これでは全体の運行に目が届きません。
運転を嫌う人がそれをせずに給料だけ受け取っているとすれば、世も末です。

どさくさにまぎれてうっかり潰されてしまった元科学技術省のみなさんも、20年も経てばもうすねている時ではありません。

こんなところにも、内閣の仕事と中央官庁の仕事が、それぞれの次元を取り違えている実態があらわれています。
走らせている列車が、どの路線をどちらに向かっているのかをしっかり見極め、海の向こう隣で駄々をこねているバカ息子の相手はいい加減にして、先々のことをよく考えてほしいものです。

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別次元:21 一語異次元

2019年01月07日 | つぶやきの壺焼

ものごとは、それを表す言葉と次元とが深く関わりあいます。
なかには、深みにはまって一つの言葉が正反対の次元を持ってしまうこともあります。
プラスマイナスではなく、まったく異なることがらに、同じ字で書く同じ言葉を使うのです。

一つの例を挙げましょう。
「修正主義」ということばがあります。
あるひとつの主義を異端であると決めつける主張を、逆に批判したり蔑視したりするときに使われたものです。
「それは修正主義だ」と相手をだまらせる言葉の道具で、そう言われると二の句が継げにくいという奇妙な力を持っています。

「修正」ということは、元来悪いことではありません。
何かを悪い方向に変えていくのを修正とは言わないからです。
「別に悪くはないけど」と言われてしまえば、あとの言葉は続きません。
悪くないと言われたことがらに、さらにこれが良いという説明は、なかなかできません。

「修正主義」のあたまに「歴史」という文字をつなげ、さらにしっぽに「者」を加えると、個人攻撃に使われるたちのよくない言葉になります。
その用例が書かれたサイトがあります。

 外国特派員協会の正体、見たり

下手な説明より、読んでいただいたほうがわかりやすいので、どうぞ。

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別次元:20 創造 >< 模造

2019年01月06日 | つぶやきの壺焼

ものごとが新しいかどうか、それには物質としての新しさと、考えられたことの新しさという、異なる次元の見方ができます。
物質としての新しさには、模造の能力がものをいいます。
考えの新しさは、創造の力です。

月の裏側に無人機が着陸できたと報じられました。
そこがどうなっているかはとうの昔に数え切れないほど多くの人が考えていたことで、新しい考えではありません。
その場所まで行く方法も、着陸の方法も、これまでの技術の積み重ねで、これも新しいことではありません。

月の裏側への着陸の意義は、その場所から何ができるか何をするか、すべて未来に向けて考えを伸ばしていくことがらの新しさがだいじなところです。
ただ、新旧と正邪はまた別次元ですから、月の裏側からの企みが、地球全体に不幸を招くことであるならば、その新しさは望んではならないものになるでしょう。

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別次元:19 知識 >< 認識

2019年01月05日 | つぶやきの壺焼

何かを知ることと、そのとおりだと認めるかどうかの判断は、異次元のことです。
その次元の散らばり具合は、みながそれぞればらばらなのではなく、これまでに知ったことの集まりの中に、認めるかどうかを両極に置いたいろいろなことがらが詰め込まれているようにも思えます。
中には承認か否認かの極を持たないこともあります。

その極は、知識の塊の中にはいりこむとき、はじめから持っているのではなく、入り込んでから居座るときに極ができるのでしょう。
はじめから極を持ったまま入ってくるのは、その人の知識ではありません。

日本人のなかには、ここ70年の間に、極を持ったまま入ってくるニセの知識を、教えられ信じ込まされてきた人が大勢います。
学校や大学という人間の知識を練り上げる場で、そのお手伝いをしなければならない教師と呼ばれる職に携わる人たちは、はじめから極をはめ込んだ永久磁石型のニセ知識の詰め込み作業に励みながら、望ましい教育という仕事を忘れていました。
これまで日本には、経済力のみ強化させ、ほかのだいじな国力はつけさせないようにする周到な計画のもとに、恐ろしいニセ知識注入が行われてきました。

このまま30年経てば、"百年目"という困ったことわざどおりの時期が到来します。
それまではあっという間で、のほほんとしてはいられません。

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別次元:18 認識 >< 承認

2019年01月04日 | つぶやきの壺焼

ものごとについて知ることと、そのとおりだと認めるかどうかの判断は、異次元のことです。
話題に載せることを避けたがるのは、知ってしまうと、それを認めなければならないと思い込んでいるからでしょう。

どうでもよいことを知りたがり、だいじなことを知ろうとせず、疑問を持とうともしない、無駄話が増えそれが絶えれば沈黙、これでは座が持ちません。
座が持たなくなって長期欠席、そんな愚行を繰り返さないよう、N町の集まりをただの稼業としないために、まず本当にだいじなことを互いに知る、そこからの再出発を望みたいものです。

ことがらをネタにして人を責め合う、1日3億円かけてのたちのよくない無駄話は、ぜひやめてほしいと思っています。

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別次元:17 組み合わせ次元

2019年01月03日 | つぶやきの壺焼

昨日のニュースで、ふと目にとまった見出しがあります。
辛口産経樽熟成ワイン 限定890本で発売」

はじめの4文字で、その社の記事の性格をほのかにあらわし、それに続く文字列は、報道のこととは次元の違う飲料名、読者になんじゃこれと思わせ目を引こうという、商魂をわざわざ見え見えにした名付け方です。
これを見ても悪い気もせず嫌な気分にもならないのが、おもしろいところです。

「隠された事実を粘り強く明らかにする姿勢を貫き続ける」と言いながら、なかったことも事実に化けさせ、明らかにするのは都合のよい部分だけという、権勢を誇ってきた他の某社のやり口とは、次元の異なるお見事な手法と言えます。

それにしても、限定890本というのはどういう数なのでしょうか。
出来栄えがハグレでなければよいなと、地口あたまが回りはじめます。

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別次元:16 立場

2019年01月02日 | つぶやきの壺焼

むかし、他社にいた知人から、「おれの立場はどうなるんだ」と電話でねじ込まれたことがありました。
ことの次第は、今になっては思い出せないほど大したことではなかったのですが、そのときその人はよほど始末に困ったのでしょう。

韓国に、「易地思之」と漢字で書かれる言葉があります。

Google翻訳音声では何度聞いても「イーベーシーチー」と聞こえますが、漢字の読みをつなげていってもその国の言葉にはなりません。

日本語では、「私の立場をお考えください」という意味になりそうですが、次元の違いは"お考え"というところにありそうです。

日本語とその国では、言葉の意味の次元が違うからです。

日本語での"お考え"には、この言葉で呼びかけている"私"の相手が考えてくれることに期待が込められています。
ところが「易地思之」(ヨクチサジ)では、"お考え"は"ください"ではなく、お考え"になるもの"と決めつけているようです。

長年、"されること"や"してもらうこと"が外交態度の根底にあり続けてきたその国では、相手は常に自分のためにあるものとしか考えないのでしょう。

そういう国がすること、言うことに、やまと心で説得や抗議をしても、何の役にも立ちません。
効き目があるとすれば、説得、抗議を続ける辛抱強さを示すことによって、こちらの人々の憤懣を抑え込みながら爆発を避ける、江戸時代からの鷹揚力学の再学習にしかならないのです。

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