(ヤフーニュース配信日刊スポーツ2025年2月4日付「元阪神監督の吉田義男さん死去、91歳 85年に球団初の日本一導く 現役時は『今牛若丸』の異名」)
今や我が街の球団と呼んでおりますが、1985年当時はまだオヤジにとって御縁が無い街でした。
でも同じ関西の一角に住んでおりましたから、20余年ぶりのリーグ優勝から球団初の日本一への熱気はひしひしと感じていました。
1985年は今から40年前。
オヤジは社会人2年生でした。
まだソ連が存在し、この年にゴルバチョフが結果的に最後となるソ連共産党書記長に就任しました。
御巣鷹山の日航機の墜落事故もこの年の夏でした。
オヤジの同い年で博識の一端にお世話になっている識者は文字通り「1985年」というタイトルの本をその20年後に出版しました。
そして今年、それからまた20年が経ちました。
20年前はもとより40年前から見ても現在の20世紀前半を思わせる力を背景にするキナ臭い世界を誰が予想したでしょうか。
我が街の球団は一昨年、あれ以来の日本一を達成しましたが昨年は球団初の「アレンパ」に届きませんでした。
次の日本一は20年後・・・とすれば、オヤジはうーん・・・、ギリギリかな。。。(笑)
吉田義男さん、生まれはオヤジの親父と同い年です。
オヤジの親父は多少年老いたことによる記憶の減退や思い違いはありますが、おかげ様で日々元気に過ごして100歳を目指すと言っております。
それなりに手はかかり、正直に鬱陶しい面もありますが、とにもかくにも元気でいてくれることに感謝です。
我が街の球団の熱狂的ファンに夢ではない喜びを与えてくださった名監督に改めて感謝するとともに、ご冥福をお祈りして、合掌。
今や我が街の球団と呼んでおりますが、1985年当時はまだオヤジにとって御縁が無い街でした。
でも同じ関西の一角に住んでおりましたから、20余年ぶりのリーグ優勝から球団初の日本一への熱気はひしひしと感じていました。
1985年は今から40年前。
オヤジは社会人2年生でした。
まだソ連が存在し、この年にゴルバチョフが結果的に最後となるソ連共産党書記長に就任しました。
御巣鷹山の日航機の墜落事故もこの年の夏でした。
オヤジの同い年で博識の一端にお世話になっている識者は文字通り「1985年」というタイトルの本をその20年後に出版しました。
そして今年、それからまた20年が経ちました。
20年前はもとより40年前から見ても現在の20世紀前半を思わせる力を背景にするキナ臭い世界を誰が予想したでしょうか。
我が街の球団は一昨年、あれ以来の日本一を達成しましたが昨年は球団初の「アレンパ」に届きませんでした。
次の日本一は20年後・・・とすれば、オヤジはうーん・・・、ギリギリかな。。。(笑)
吉田義男さん、生まれはオヤジの親父と同い年です。
オヤジの親父は多少年老いたことによる記憶の減退や思い違いはありますが、おかげ様で日々元気に過ごして100歳を目指すと言っております。
それなりに手はかかり、正直に鬱陶しい面もありますが、とにもかくにも元気でいてくれることに感謝です。
我が街の球団の熱狂的ファンに夢ではない喜びを与えてくださった名監督に改めて感謝するとともに、ご冥福をお祈りして、合掌。
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