富士フィルムの新製品、中判カメラFujifilm GFX 50Sに関する3つのトークを聞くために、土曜に続いて、日曜もパシフィコ横浜CP+へ出かけました。 3つのうち中村さんのトークはおおいに参考になりました。彼は完全にスタジオ撮影。
以下の写真は全てFujifilm X-T10 + Zeiss touit 32mmでプレゼンスライドを撮影したものです
この2つの写真はFujifilm GFX 50Sではなく、別の中判カメラの作品ですが、この写真が中判カメラのメリットを的確に現しています。 巨大なパネルに引き伸ばしても破たんしない高画素数と、それより重要なのは階調にあるといいます。階調が多ければ多いほど、色や明るさの変化をなめらかなグラデーションで表現でき、自然に近い描画ができる。なぜセンサーサイズが大きくなるほど階調表現レベルが高くなるのかは良くわからないのだが、とにかくグラデーションがきれいになるので、生っぽくなる。当方には本物以上の生っぽい色気が出てくるように見える。
この2枚は、左が中判, Fujifilm GFX 50Sで右がAPS-C, Fujifilm X-T2。この写真を見ると、ボケの出方は当然違うが、生っぽさの違いはわずかである。プレゼンターもむしろFujifilm X-T2の表現にビックリであると言っていました。
中村氏は花と水の組み合わせに挑戦している。水盤の上に花を置いたり、水滴をうまく使ったり。複数の色でライティングすることによる水滴を魅力的に見せたり。正に、波や水鏡を追っている当方の琴線に触れる方向であった。
結局、Fujifilm GFX 50S 中判とAPS-Cの差を明確に示すサンプルは出てこなかったが、大事なのは使っている人の総合的感触で、それを証明する一枚の写真を提示するのは容易なことでない。当方もレンズの特徴の違いを表すブログ用写真を選び出すのに苦労している。長期に触っていると、その違いというのが明確にわかってくるのである。これだけシビヤーに画像を追いかけている中村氏の結論を当方は信じてしまう。とにかく、<階調>という言葉に引き込まれてゆく。
さてほかの2名のトークはどうだったのか?
この方は大変人気があるらしく、トークが始まるだいぶ前から席は満員。トークがはじまる寸前まで空席がめだった中村氏とは大違いであった。内容はニュージーランドの旅で、このトークの寸前に帰国したそうである。
いい写真を3枚だけ選んで載せます。この写真を見る限り文句をいう点はありませんが、トーク全体は、何がFujifilm GFX 50Sのメリットかちっともわからなかった。単なるニュージーランドの観光写真。上の写真で、岩陰に鳥を入れるのに苦労した、年取って目が悪くなったと言っていたが、この中判カメラはミラーレスだから、チャッタータイムラグが大きいためで、年のせいではない。どうやら、この方、メカは全然わかっていないようだ。まあ、Fujifilm GFX 50Sを持って行くところに行けば、きれいな写真が撮れるということは理解した。
次は萩原氏。<風景写真>の編集長であったということで、彼の写真方向は見なくてもわかる。
これもいい写真だけ3枚選択しました。写真に文句をつける点はありませんが、なぜかほとんどの写真が、絞りをぎりぎりまで絞って、スローシャッターを切っていることが引っ掛かりました。水面とか雪をスローシャッターで表現したいことはわかるのですが、なんで他の写真全部そうなのか? 焦点深度の浅い中判カメラをピシッと見せるために、絞り込んでパンフォーカス、オンリーとしたのか。そりゃあんまりバカじゃない。
この方のトークからもFujifilm GFX 50Sのメリットが読み取れません。もともと風景写真は中判ペンタックス645フィルムカメラが席捲してきました。デジタルよりフィルムの方がいいと言われ続けてきた中でのFujifilm GFX 50Sの位置が不明。いくら口で、これからの風景写真はFujifilm GFX 50Sが主軸となるだろうと言われても信用できません。
梅の花を撮っていたら、メジロが写っていること気づいて、これをトリミング拡大。 この鳥の撮り方が意味ある撮り方になるだろうとおっしゃる。 何かすべてが軽い。 中村氏の自分の目標をどこまでも追いかける姿勢に対して、他の2者の姿勢はなんとも<ゆるい>。 この<ゆるさ>が一般のカメラファンには受けるのか? 後で述べるソニーのトーク、柏倉氏のシビヤーさに比してこの<ゆるさ>、 一般受けをねらう富士フィルムとストイックなソニーのスタンスの違いが見える。 富士フィルムの展示会における当方の違和感は、富士フィルムのもともと持っているこれまでの写真に対する古い考えに起因する。当方には<アートとしてはなんとゆるい世界なのか>としてしか映らない。
Fujifilm GFX 50S
富士フィルムの持つフイルム時代の写真感。そのオールドな写真感に対する違和感とは別に、富士フィルムのカメラFujifilm GFX 50Sは信頼できる。なんとも地味な外見ではあるが、持った感じはシックリとし、撮れるカメラという感触をひしひし感じている。この富士フィルムに併存するオールド・フィルム屋の残影とカメラ技術者のチャレンジの2面性がなぜ起きるのかは最後にまた議論しましょう。
他の中判カメラとフルサイズSony alpha7RIIに関しては<その3>をご期待ください。
以下の写真は全てFujifilm X-T10 + Zeiss touit 32mmでプレゼンスライドを撮影したものです
この2つの写真はFujifilm GFX 50Sではなく、別の中判カメラの作品ですが、この写真が中判カメラのメリットを的確に現しています。 巨大なパネルに引き伸ばしても破たんしない高画素数と、それより重要なのは階調にあるといいます。階調が多ければ多いほど、色や明るさの変化をなめらかなグラデーションで表現でき、自然に近い描画ができる。なぜセンサーサイズが大きくなるほど階調表現レベルが高くなるのかは良くわからないのだが、とにかくグラデーションがきれいになるので、生っぽくなる。当方には本物以上の生っぽい色気が出てくるように見える。
この2枚は、左が中判, Fujifilm GFX 50Sで右がAPS-C, Fujifilm X-T2。この写真を見ると、ボケの出方は当然違うが、生っぽさの違いはわずかである。プレゼンターもむしろFujifilm X-T2の表現にビックリであると言っていました。
中村氏は花と水の組み合わせに挑戦している。水盤の上に花を置いたり、水滴をうまく使ったり。複数の色でライティングすることによる水滴を魅力的に見せたり。正に、波や水鏡を追っている当方の琴線に触れる方向であった。
結局、Fujifilm GFX 50S 中判とAPS-Cの差を明確に示すサンプルは出てこなかったが、大事なのは使っている人の総合的感触で、それを証明する一枚の写真を提示するのは容易なことでない。当方もレンズの特徴の違いを表すブログ用写真を選び出すのに苦労している。長期に触っていると、その違いというのが明確にわかってくるのである。これだけシビヤーに画像を追いかけている中村氏の結論を当方は信じてしまう。とにかく、<階調>という言葉に引き込まれてゆく。
さてほかの2名のトークはどうだったのか?
この方は大変人気があるらしく、トークが始まるだいぶ前から席は満員。トークがはじまる寸前まで空席がめだった中村氏とは大違いであった。内容はニュージーランドの旅で、このトークの寸前に帰国したそうである。
いい写真を3枚だけ選んで載せます。この写真を見る限り文句をいう点はありませんが、トーク全体は、何がFujifilm GFX 50Sのメリットかちっともわからなかった。単なるニュージーランドの観光写真。上の写真で、岩陰に鳥を入れるのに苦労した、年取って目が悪くなったと言っていたが、この中判カメラはミラーレスだから、チャッタータイムラグが大きいためで、年のせいではない。どうやら、この方、メカは全然わかっていないようだ。まあ、Fujifilm GFX 50Sを持って行くところに行けば、きれいな写真が撮れるということは理解した。
次は萩原氏。<風景写真>の編集長であったということで、彼の写真方向は見なくてもわかる。
これもいい写真だけ3枚選択しました。写真に文句をつける点はありませんが、なぜかほとんどの写真が、絞りをぎりぎりまで絞って、スローシャッターを切っていることが引っ掛かりました。水面とか雪をスローシャッターで表現したいことはわかるのですが、なんで他の写真全部そうなのか? 焦点深度の浅い中判カメラをピシッと見せるために、絞り込んでパンフォーカス、オンリーとしたのか。そりゃあんまりバカじゃない。
この方のトークからもFujifilm GFX 50Sのメリットが読み取れません。もともと風景写真は中判ペンタックス645フィルムカメラが席捲してきました。デジタルよりフィルムの方がいいと言われ続けてきた中でのFujifilm GFX 50Sの位置が不明。いくら口で、これからの風景写真はFujifilm GFX 50Sが主軸となるだろうと言われても信用できません。
梅の花を撮っていたら、メジロが写っていること気づいて、これをトリミング拡大。 この鳥の撮り方が意味ある撮り方になるだろうとおっしゃる。 何かすべてが軽い。 中村氏の自分の目標をどこまでも追いかける姿勢に対して、他の2者の姿勢はなんとも<ゆるい>。 この<ゆるさ>が一般のカメラファンには受けるのか? 後で述べるソニーのトーク、柏倉氏のシビヤーさに比してこの<ゆるさ>、 一般受けをねらう富士フィルムとストイックなソニーのスタンスの違いが見える。 富士フィルムの展示会における当方の違和感は、富士フィルムのもともと持っているこれまでの写真に対する古い考えに起因する。当方には<アートとしてはなんとゆるい世界なのか>としてしか映らない。
Fujifilm GFX 50S
富士フィルムの持つフイルム時代の写真感。そのオールドな写真感に対する違和感とは別に、富士フィルムのカメラFujifilm GFX 50Sは信頼できる。なんとも地味な外見ではあるが、持った感じはシックリとし、撮れるカメラという感触をひしひし感じている。この富士フィルムに併存するオールド・フィルム屋の残影とカメラ技術者のチャレンジの2面性がなぜ起きるのかは最後にまた議論しましょう。
他の中判カメラとフルサイズSony alpha7RIIに関しては<その3>をご期待ください。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます