小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

クロスオーバー展 2019

2019-08-03 13:45:26 | 日記
クロスオーバー展 2019
2019-7-5~19
初めての当方の個展、クロスオーバー展を開催しました。個展というのは大変なのです。
必要なエネルギーはグループ展の100倍です。

今回の個展の目的は、自分の作家としての評価を知ることではなく、アートビジネスが成立できるか、その可能性を探ることの一点です。

ご来場いただいた方の半分は当方の知り合い、半分はギャラリー・オーナーの力で勧誘された近所の方々です。フリーのお客さんは1割。
大半は知り合いで、価格も通常の1/2ですから、お買い上げいただいても、そのままビジネスになったと考えることはできません。しかし、いくら知り合いでご祝儀購入でも、まったく気に入らないものには1円でも出費する人はいないことも事実です。出展作品の半分以上は売れました。


貝の記憶―1


貝の記憶―2

今回の展示会の目玉作品2点です。クロスオーバー展という由来のセラミック(陶器)とガラスの融合作品です。これは展示会の目玉ですから売り物にはしていません。案内状のこの写真を見て、色がきれいだと言って見に来られた方が何人かいらっしゃいました。

クロスオーバー展に貼った説明文を読む方はとても少なかったので、もったいないから、ここに載せておきます。以下、太字表題の文です。

貝の記憶
貝が生まれて、死んで、さらに貝殻となってからも色々な変遷を経て、海岸に打ち上げられた貝殻。貝殻にはその長い経歴が記憶として刻まれていると思うのです。到底、人の知りえないその記憶に思いを馳せるのです。
この当方の文(詩?)に当方のヤマユリガラスと大皿の組み合わせにさんざん文句を言ったお客さん<何とかコーディネーター>さんは痛く共感していました。


これは売りを意識した作品です。家内が自分で買いたいというので、売り物にはしませんでした。花器では一輪挿しが一番人気で、この方向は売れる感触を得ました。問題はガラスは製造コストがかかるということで、この作品は1万円でもビジネスになりません。製造コストをいかに下げるかが大問題です。

陶芸とガラス工芸
沖縄の陶芸村、やちむんの里では陶芸工房と琉球ガラス工房が隣り合っています。しかし、陶芸とガラス工芸は多くの方がその融合を試みたにもかかわらず、この融合が広まることはいまだありません。それは単に技術的問題なのか、融合してもより魅力的ものが生まれないからなのか?   沖縄にはガラス工芸を軸に陶芸技術を取り入れたアプローチ(稲嶺盛吉氏の土紋宙吹きグラス)と陶芸を軸にガラス工芸を取り入れたアプローチ(金子喜八郎氏の石垣焼)が存在します。融合してより魅力的なものが生まれる証拠かもしれません。しかし陶芸とガラス工芸の距離はまだまだ大きな隔たりがあります。陶芸とガラス工芸を真正面からぶつけ合わせててみました。やってみようではありませんか、やってみなければ何もわからない。



紫のガラス・ヤマユリは作品としてはいいのですが、使い道がわからずにもてあましていましたが、50%引きでお買い上げいただきました。
<何とかコーディネーター>さんがガラス・ヤマユリと大皿との組み合わせにさんざん文句をつけたので、ばらばらにして展示したら、ガラスが売れました。現在大皿は行方不明で、売れたのを忘れているのかもしれません。


大皿+ガラス・ヤマユリにさらにコケ玉作家さんがコケ玉をのっけたので、さすがこれは
だめですよ。

ヤマユリの里
自然教育園の夏をかざるのはヤマユリです。日本特産の純系ユリ。森の中にポット咲くヤマユリは、あまりに奇跡的形と思いませんか。


貝の曲線をモチーフとした貝シリーズは作っている時に一番楽しいかった作品です。エネルギーを感じるとか、楽しいとかおしゃって、大半が売れました。この上の作品をお買い上げになった方は海が好きな方で、いくつか海物をお買い上げになり、後程どのように飾っているかをメールいただきました(以下の写真)。嬉しい限りです。



貝シリーズ
貝殻は奇跡的曲線を包含しています。宇宙の無秩序あるいは宇宙の秩序と生命の秩序の接点のようです。貝殻からその曲線を抽出しようとしています。しかし、まだ一度もうまく抽出できたためしはないのです。魅力を生み出す曲線の本質はどこにあるのでしょうか?

広島から来たというフリーのお客さんが、<その通りよ!>といって、このフレーズに大いに共感していました、


この貝シリーズは下記の状況で浮かんだ<プロヴァンスの海と陸>のイメージから作りました。夜明けの海です。ということを説明すると、突然買ったといって、ご婦人がお買いあげになりました。プロヴァンスの海はこんな暗くないと異論をいう方もいましたが、この歌は暗いトーンで、夜明けの海のようなのです。

プロヴァンスの海と陸
オペラ椿姫の中で歌われる<プロヴァンスの海と陸>、プロヴァンスの海と、その地を誰がお前に忘れさせたのだ、ふるさとの輝く太陽を何がお前から奪ったのだ、思い出しておくれ、 そこで喜びがお前に輝いていたことを神様が私をここへ導いてくださったのだよ!
名バリトン歌手、レオ・ヌッチの歌を聞いた時のイメージで作りました。朝日が昇る前の海です。




これら2点は今後のベースとするために売り物にはしませんでした。


こんな特殊な形の花器は売れないだろうとおもっていたら、中国系のフリーのお客さんが、気に入ってお買いあげになりました。この方はこれ以外にもいっぱいお求めになり、職場に飾って、みなに喜ばれているというメールをいただきました。嬉しい限りです。

丸と四角
実用品は殆どが丸と四角で出来ています。陶磁器もガラスも丸と四角以外の食器は使いにくいに決まっています。住む部屋も三角ではやはり住みにくい。これは人の宿命です。だからといって陶芸=ろくろ=丸と決めつけるのおかしい。陶芸はもっとも容易に、自由に立体の形を作れるし、色を与えることもできる。しかし、陶芸の作り手も使い手も丸から容易に離れようとしない。まずはシンメトリーを否定することから始めてみました。


今回は出来る限り,器に花やコケ玉を飾りました。この作品と殆ど同様な作品を小笠原流の生け花の先生がご購入になりました。花器と花は対等に互いの魅力を引き出すべきだという考え(下記クロスオーバー⑥をよんでください)に賛同してくれました。

花を生けることに関しては、娘と家内の協力によるものだったので、スマホで家内が撮った器と花のコラボレーションの様子、以下6枚の写真を載せます。
















これら2枚の写真の作品は通常流れることがない上絵具を工夫して流れるようして、複雑な模様をつくったものです。上のお皿や下の牡蠣をモチーフとした器は全て売れてしまいました。この複雑な模様が気に入ったようです。


コケ玉のための器が今回のテーマの一つでした。これはとんでもなく不思議な形なので、売れるはずはないと思っていましたが(頭の赤は売約すみのマークです)、このコケ玉用器が本展示会の一番人気でした。何人もの方が購入を希望しました。コケ玉自体も人気があり(当然です、もともと5000円で買ったものです、一部枯れて小さくなってしまいましたが)、マッチングが良かったせいもあります。近所のレストランで働く若者がこれを見て、いっぺんで気に入ってご購入になりました。植物をインテリアとしている方には波長が合えば、どうしても欲しいと思うようになるようです。植物を器にからませる試みは今後の有望な方向であると思いました。コケ玉作りの方と組んでいましたが、コケ玉+器はみな売れてしまいました。


これは大量販売を目的としたワインカップです。貝をあしらい、上絵具を流して、酔っ払いながら、ぼーっと海を思い出すことを目的に作りました。これではワインの色が見えないと文句を言う方もいましたが、旅行で、海外の器を見なれた方が喜んでご購入され、大半は売れてしまいました。ポルトガルに行かれた方にアズレージョの話をしたら、即、向かって右のカップをお買い上げになりました。





レーザーカッターによるデジタルデザインと陶器のクロスオーバーにより、陶板を作り、ガラス粉を使って、色のきれいなインテリアを作りました。大量生産でありながら、魅力的インテリアを目指しました。大量に作ったので、売れなければどうしようと思っていましたが、展示会の途中から突然売れるようになり、かなりの数が売れました。方向としては使えそうです。単価が安くても多量に売れれば、ビジネスになると思いました。作家が芸術性を追い求めて、高価な作品を販売するばかりがビジネスではないと思うのです。

デジタルデザインと工芸
デザインをデジタル化することで、工芸の手間を簡略化したり、これまでに無いデザインを生んだりすることができます。高価な工芸品や芸術品を飾るにこしたことはありませんが、お金持ちの方しか工芸品や芸術品を楽しめないのは残念です。手ごろな価格の工芸品や芸術品で、全ての人の生活を楽しくするにはどうしたらいいか。今回はレーザーカッターを陶芸と組み合わせました。次なるステップ、3Dプリンターと陶芸/ガラス工芸の組み合わせをトライしたいと準備しています。


これは今回、当方が一番気に入っている作品です。陶板とカラス粉の組み合わせ、さらにキャンバスに貼りつけました。印象派絵画風の作品にしています。展示会ではあまり話題になりませんでしたが、それは、絵を飾る習慣が日本人に乏しい上に、このようにカラフルな絵を飾る空間がないこと、絵画として額にいれると、額代がとっても高価になってしまうこと、ここまでクロスオーバーするとついて行けなくなることが原因でしょう。ここに至るまでに、同様の方向で、3点作り、2点失敗して、6点目の作品です。現在4点がリビングルームに飾られています。額が高いので、額を自前で作らないとビジネスになりません。この方向はもっともやってみたい方向です。陶板作家ルート・ブリュックが先生です。


この展示会には、当方の特殊な写真が展示されています。自然の中に抽象を見つけ、それを立体作品に投影するクロスオーバーが当方のメインテーマだからです。


水の表現が大きな課題です。チョウは合成写真です。











海の波の色々な表情も展示しました。みな、自然の中に抽象を見つけようとする試みの結果です。

水の表現シリーズ
水の形は無限に変化します。海、川、湖、池の水の表現はそれぞれに異なりますし、共通することもあります。偶然に出くわした水の表現が、またいつどこで再会できるかわからない表現もあります。その無限のバリエーションは当方には最高の魅力なのです。



自然の中に人工的に抽象を作る試みは、リアルを越えるシリーズで、現在自然教育園の写真展に展示中です。ここでは、これらの写真を屏風風にして展示しました。

リアルを越すシリーズ
自然教育園に咲いている花そのものに、ある舞台装置をセッティングして、実写しました。本物より魅力的になっただろうか? 撮影後の修飾はいっさい無し。自然の中に積極的に抽象を作ってみました。

自然の中に抽象を見つける
自然教育園の沼の水鏡は秋の一瞬、黄金に輝きます。自然教育園で撮影した、蝶の様々な飛び姿を合成しました。最近の高画素数のカメラは、撮影してから、抽象的魅力のある部分を切り取って拡大することを容易にしました。真実を追求する写真の中にはいつも抽象が包含されているのです。リアルな抽象を見つけることは無上の楽しみです。

飛び姿
最近のカメラは、連写速度が向上し、さらにプレ撮影システム(シャッターを押した瞬間より前の数コマを記録する)を搭載するものもあります。通常の人では見えない鳥や蝶の姿を捉えることができます。これまでの作家さんが好んで描く蝶や鳥の姿を越えて、新しい姿を工芸に表現しようとする試みをしています。






ぐい飲みもほとんど売れました。この画面の作品はみんな売れました。メキシコから来たフリーのお客さんが2点購入されました。

前列中央のぐい飲みは下記のイメージでつくりました。

マリメッコ礼賛
シンプルに自然の本質を表現するマリメッコ・デザインはすばらしい。この方向は当方の理想です。マリメッコのクースカヤスカリbyアイノ=マイヤ・メッツオラをイメージしたぐい飲み。




展示会の途中から参加した大量生産品、一輪挿しと小植木鉢。半分売れました。


以上、ギャラリー白金台の一室は、このようなクロスオーバー作品満載でした。

おかげさまで、来場者数は111名、売り上げはxxx万円で、会場費をオーバーしました。トータルの収支としてはまだまだ赤字ですが、アートビジネスへの足掛かりは十分得ることが出来たと思っています。

中学高校や大学の同級生が訪ねて来てくれました。何十年ぶりの再会の方もいっぱいいました。当方も含め皆さん高齢者ですから、いろいろな病気を経験した方や、現在も問題を抱えている方も少なくありません。アートビジネスが成立できるか、病気で倒れるか時間との戦いです。

最後に、
クロスオーバーの意味をつづった文を貼っておいたのですが、だれも読んでくれなかったので、ここに載せておきます。気が向いたら読んでください。

クロスオーバーその1: 陶芸家、人間国宝、富本憲吉(1886 – 1963)の言葉、<形から形を作ってはいけない>、<人の作品の混ぜ合わせで形を作るのではなく、自然から自分の目で形をつかめ>と解釈する。こつこつ自然教育園を歩き、海辺を歩き、撮った写真や拾った貝や葉っぱから自然をつかみ、そこから形をつかもうとしている。自然と工芸はクロスオーバーする。

クロスオーバーその2: 作品の発想の基は自然の写真や貝や葉っぱ(具象)であるが、自然の中に存在する抽象を発見し、それを作品に具象化する。さらに進んで、自然の中に意図的に抽象を作り撮影(具象化)する。かくして、具象と抽象はクロスオーバーする。

クロスオーバーその3: 工芸技術から作品を発想するのではなく、表現したいものが先にあって、その表現の為に可能な工芸技術の全を使うと考えてもいいではないか。これは、口で言うのは簡単だが、実際はとても難しい。工芸技術は長い間の試行錯誤の末に出来上がったものであり、異なる工芸技術のクロスオーバーには幾多の壁が立ちはだかる。新たな試行錯誤が必要なのだ。しかし、指をくわえていてもしょうがない、やってみなければ何も生まれない。

クロスオーバーその4: なぜか立体作品には色が少ない。色彩の絵画と立体の彫刻を最も容易にクロスオーバーできるのは陶芸であると思う。陶芸を中心軸として、ガラス工芸を加えて、色立体を目指す。

クロスオーバーその5: デジタルとアナログの狭間はつねに揺れ動く。デジタルが席捲する場合と、やはりアナログがいいといって、元に戻る場合がある。ジュエリーの世界にはすでに3Dプリンターが浸透した。ここではレーザーカッターを陶芸とクロスオーバーさせた。3Dプリンターと陶芸/ガラス工芸とのクロスオーバーは次回にお見せできるかもしれない。

クロスオーバーその6: 花を飾るために花器があると考えがちだ。しかし、器を飾るために花があると考えてもいいではないか。花と器は互いに相乗して何かを表現する。花と器はクロスオーバーする。

クロスオーバーその7: 工芸間のクロスオーバーの大きな障壁は<見手>の強固な固定概念だ。しかし、それよりもっと大きな障害は<作り手>が未熟なことだ。新しい試みは繰り返しが足りない。何度も繰り返して成熟させるしかない。<見手>の理解が新しい試みを支援する。<見手>と<作り手>はクロスオーバーする。


長いブログを最後まで読んでいただきありがとうございました。
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