毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「『一つの時代が終わった』は言わない」 2012年8月4日(土)No.406

2012-08-04 11:27:34 | 日記
偉大な思想家が亡くなると、よく言われるのが
「昭和が終わった」
「一つの時代が終わった」
などという言葉だ。

しかし、一人の人間の死をもって
一つの時代が終焉したというのは、
残された者の多大な喪失感を表現してはいるのだろうが、
100%本気でそう思ったら間違いではなかろうか。
人の思想や行動は死をもって完結することを前提にしてはいない。
時代もまた同様である。

国家的有名人とまではいかないが
我がスエミ姐さんの生涯を思うと、そう感じた。

「立つ鳥跡を濁さず」の言葉通り、
スエミ姐さんは、いろんなことを整理して旅だった。
しかし同時に、彼女はできる限り普通の生活をし続けた。
これからもずっとこのまま生きていきたいという意思と受け取れる。

さらにスエミ姐さんは
私たちにたいへんなものを残して逝った。
彼女の友人、知人、教え子たちである。
彼女が仲介して知り合い、友人同士になった例は数多い。
歳の差、職場や趣味の違いがあったりすると、
なかなか知り合うチャンスが少ないのが日本社会の常だが、
スエミ姐さんのダイナミックな括りの中で
友情の輪はずいぶん大きく膨らんだ。
その括り方は
「反戦・平和」と「愉快・痛快」
と表現できるのではないかと思う。

この括り方はスエミ姐さんが、
さらに生き続けるだろう友人・知人に託したものだ。
簡単に「ああ、終わった」と言ってはならない。

大思想家の功績についても同様に考えられないだろうか。
一つの時代の偉大な思想は、同時に次の時代への暗示と萌芽を内包している。
引き継ぐ者たちが、
そこから学ぶべきことは多い。
日本民族の清算主義的傾向を戒める意味でも、
「一時代が終わった」
と、簡単に言わないでおこう。
ふと、そう思った。












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