昨日、雅子さんとお連れ合いのお宅にお招きされて行ってきた。
めちゃ仲良しご夫婦の二人だが、
これほど嬉しそうなのにはわけがある。
彼女の故郷は吉林省長春。
「大地の子」の舞台にもなった。
中国人の連れ合いと結婚したが、
残留孤児のお父さん夫婦が日本に帰国して1年後の1999年に、
夫、4歳の娘とともに日本にやってきた。
他の帰国者同様、彼らもまた言葉の壁、習慣の壁、社会システムの違いに苦しみ続けた。
中国のご両親の介護のため、連れ合いは7年間の日本暮らしの後、
長春に引き上げた。
雅子さんも二度と日本には戻らないつもりで、
夫と行動をともにした。
上の娘、日本で生まれた1歳の下の娘を連れて。
しかし、上の娘が日本に帰りたいと訴え続けるので、
しかたなく雅子さんは娘たちと大阪に戻ってきた。
今から5年前のことだ。
それ以来、
夫は長春、妻と2人の娘は大阪と、家族は引き裂かれてしまった。
QQで夫とチャットなどしても、現実の子育てや生活のやりくりは
全て雅子さんの肩にかかった。
日本で生まれ育った人でも、一人で2人の子育てと仕事探し、
生活の切り盛り全部をやれと言われたら、どれほどのことができるだろうか…。
当時、言葉だけではなく、
日本の社会や習慣に馴染んだとは決して言えない雅子さんは、
たった一人、孤立無援で子どもを守り、
日々の生活と闘うしかなかった。
ちょうどその頃、
私は近畿帰国者支援センターで週末だけ
日本語クラスを受け持っていた。
そのクラスに通っていたのが雅子さんで、
真面目で成績もいいが、
いつもどこか悲しそうで暗いムードを漂わせていた。
一人で中学生の上の娘と3歳の下の娘を育てながら、
ヘルパー1級試験に合格し、パソコンも勉強しているという彼女は、
ある日の休み時間、半分病気のように喋って喋って、私やクラスメイトに
窮状を訴えたことがある。
実は半分病気どころか、その頃の彼女は本当に病気だったそうだ。
せっかく得たヘルパーの職も、その病気のせいで止めざるを得なかった。
上の子の高校受験でも、日本のシステムが分からず、
どれほど困ったことだろう。
その頃、夜何度か電話がかかってきた。
途方に暮れて泣いている彼女からだった。
この写真の笑顔を彼女が取り戻したのは、
彼女自身が持つ、人一倍強い根性と、
そしてやはり、頼りがいのある連れ合いの存在によるものだ。
今、二人は七夕の織姫と彦星のように、
年に一、二度、数週間中国と日本を行ったり来たりしている。
いつかまた、ともに暮らせる日を夢見て…。
おまけと言ってはナンだけど、
お連れ合いの新作中華料理がまたむちゃ美味しい!
下の写真は「ゴーヤと豚ミンチの蒸し物」
これは「三鮮(卵・にら・あと何だった?)揚げ」巨大餃子のような形。
もちろん皮から作る。皮作りのコツ教えてもらったもんね~。
全部手作り料理のラインナップ
彼は中華料理店を経営する夢を持っている(できれば帰国者の仲間たちと)。
実現できたらいいな!
めちゃ仲良しご夫婦の二人だが、
これほど嬉しそうなのにはわけがある。
彼女の故郷は吉林省長春。
「大地の子」の舞台にもなった。
中国人の連れ合いと結婚したが、
残留孤児のお父さん夫婦が日本に帰国して1年後の1999年に、
夫、4歳の娘とともに日本にやってきた。
他の帰国者同様、彼らもまた言葉の壁、習慣の壁、社会システムの違いに苦しみ続けた。
中国のご両親の介護のため、連れ合いは7年間の日本暮らしの後、
長春に引き上げた。
雅子さんも二度と日本には戻らないつもりで、
夫と行動をともにした。
上の娘、日本で生まれた1歳の下の娘を連れて。
しかし、上の娘が日本に帰りたいと訴え続けるので、
しかたなく雅子さんは娘たちと大阪に戻ってきた。
今から5年前のことだ。
それ以来、
夫は長春、妻と2人の娘は大阪と、家族は引き裂かれてしまった。
QQで夫とチャットなどしても、現実の子育てや生活のやりくりは
全て雅子さんの肩にかかった。
日本で生まれ育った人でも、一人で2人の子育てと仕事探し、
生活の切り盛り全部をやれと言われたら、どれほどのことができるだろうか…。
当時、言葉だけではなく、
日本の社会や習慣に馴染んだとは決して言えない雅子さんは、
たった一人、孤立無援で子どもを守り、
日々の生活と闘うしかなかった。
ちょうどその頃、
私は近畿帰国者支援センターで週末だけ
日本語クラスを受け持っていた。
そのクラスに通っていたのが雅子さんで、
真面目で成績もいいが、
いつもどこか悲しそうで暗いムードを漂わせていた。
一人で中学生の上の娘と3歳の下の娘を育てながら、
ヘルパー1級試験に合格し、パソコンも勉強しているという彼女は、
ある日の休み時間、半分病気のように喋って喋って、私やクラスメイトに
窮状を訴えたことがある。
実は半分病気どころか、その頃の彼女は本当に病気だったそうだ。
せっかく得たヘルパーの職も、その病気のせいで止めざるを得なかった。
上の子の高校受験でも、日本のシステムが分からず、
どれほど困ったことだろう。
その頃、夜何度か電話がかかってきた。
途方に暮れて泣いている彼女からだった。
この写真の笑顔を彼女が取り戻したのは、
彼女自身が持つ、人一倍強い根性と、
そしてやはり、頼りがいのある連れ合いの存在によるものだ。
今、二人は七夕の織姫と彦星のように、
年に一、二度、数週間中国と日本を行ったり来たりしている。
いつかまた、ともに暮らせる日を夢見て…。
おまけと言ってはナンだけど、
お連れ合いの新作中華料理がまたむちゃ美味しい!
下の写真は「ゴーヤと豚ミンチの蒸し物」
これは「三鮮(卵・にら・あと何だった?)揚げ」巨大餃子のような形。
もちろん皮から作る。皮作りのコツ教えてもらったもんね~。
全部手作り料理のラインナップ
彼は中華料理店を経営する夢を持っている(できれば帰国者の仲間たちと)。
実現できたらいいな!