勧められて沢木耕太郎著「1960」を読んでいる。
その本には
「危機の宰相」-池田隼人とその周辺(1977著)、
「テロルの決算」-浅沼稲次郎と山口二矢(1978著)
という二つのノンフィクションが収められている。
読みつつ、自分でこういう文を探せなかった未熟さを
少し残念にも感じている。
1960年当時、8歳の自分も
岸信介、池田隼人、浅沼稲次郎の名前は知っていた。
その後の佐藤栄作、福田赳夫、田中角栄、三木武雄などは
よ~く知っている、ていうか、耳にこびりついている。
しかし、我が身を振り返ったとき、
どうも自分は
神学論的体質を色濃く持っていたと認めざるを得ない。
現実社会をどう切り盛りしていくかを不問にしたまま、
批判的に見るという傾向である。
なので、自民党の政権担当者のいちいちに興味関心など抱きようもなく、
今日まで至ってしまった。
戦後の日本を振り返るとき、
為政者たちの見たもの、目指したものを抜きに戦後史を理解することは
限定的、局地的にならともかく、不可能といえる。
この沢木耕太郎の本は、
自分が空白にしてきた分野を分かりやすく、興味深く解説してくれる
私にとってありがたい本である。
「危機の宰相」の中に、
池田の「所得倍増」論の理論的根拠を提示した下村治という人が出てくる。
彼は、「安定成長」を唱える官僚出身の佐藤栄作に対抗して、
日本経済のダイナミックな高度経済成長の可能性を示し、
それを行政的に導くよう池田隼人にアドバイスし続けた人である。
その下村治は、1973年オイルショック以降、
急に高度成長論からゼロ成長論者に変わる。
誰よりも力強く高度成長を唱えていた彼が、誰よりも日本経済の成長に否定的になった。
下村は
「私は何も変わっていません。日本の置かれている客観状況が変わっただけです。」
と言う。
「日本経済は高度成長からゼロ成長に押し出されてしまったのです。
それに適応しなければならなくなった。しかしゼロ成長だからといって
悲観ばかりしている必要はありません。
経済がゼロ成長に適応してしまえば、不況もなにもない静かな状態が生まれてくる。
ところが今は、高度成長に身構えていたものをゼロ成長に対応できるように
変えなければならない。
そこに混乱が生じる原因があるのです。
ゼロ成長を生きるためには、これまで高度成長に備えていたものを切り捨てなければなりません。たとえば膨大にある設備投資関連の産業は整理されていくでしょう。
しかしその代りに、これまで設備投資に向けられていた資源と能力が解放されることになります。
今度はそれを生かして、生活水準の充実や環境条件の整備に使うことができるようになります。
もちろん、それに至るまでには過渡的なプロセスがあるはずですから、それが苦しみとなって続くということになるのでしょうが…。」(『危機の宰相』P.206)
この言葉は1977年、沢木耕太郎が下村治にインタビューしたときのものである。
見える人には見えていたのだ。
今の日本の有様が。
その本には
「危機の宰相」-池田隼人とその周辺(1977著)、
「テロルの決算」-浅沼稲次郎と山口二矢(1978著)
という二つのノンフィクションが収められている。
読みつつ、自分でこういう文を探せなかった未熟さを
少し残念にも感じている。
1960年当時、8歳の自分も
岸信介、池田隼人、浅沼稲次郎の名前は知っていた。
その後の佐藤栄作、福田赳夫、田中角栄、三木武雄などは
よ~く知っている、ていうか、耳にこびりついている。
しかし、我が身を振り返ったとき、
どうも自分は
神学論的体質を色濃く持っていたと認めざるを得ない。
現実社会をどう切り盛りしていくかを不問にしたまま、
批判的に見るという傾向である。
なので、自民党の政権担当者のいちいちに興味関心など抱きようもなく、
今日まで至ってしまった。
戦後の日本を振り返るとき、
為政者たちの見たもの、目指したものを抜きに戦後史を理解することは
限定的、局地的にならともかく、不可能といえる。
この沢木耕太郎の本は、
自分が空白にしてきた分野を分かりやすく、興味深く解説してくれる
私にとってありがたい本である。
「危機の宰相」の中に、
池田の「所得倍増」論の理論的根拠を提示した下村治という人が出てくる。
彼は、「安定成長」を唱える官僚出身の佐藤栄作に対抗して、
日本経済のダイナミックな高度経済成長の可能性を示し、
それを行政的に導くよう池田隼人にアドバイスし続けた人である。
その下村治は、1973年オイルショック以降、
急に高度成長論からゼロ成長論者に変わる。
誰よりも力強く高度成長を唱えていた彼が、誰よりも日本経済の成長に否定的になった。
下村は
「私は何も変わっていません。日本の置かれている客観状況が変わっただけです。」
と言う。
「日本経済は高度成長からゼロ成長に押し出されてしまったのです。
それに適応しなければならなくなった。しかしゼロ成長だからといって
悲観ばかりしている必要はありません。
経済がゼロ成長に適応してしまえば、不況もなにもない静かな状態が生まれてくる。
ところが今は、高度成長に身構えていたものをゼロ成長に対応できるように
変えなければならない。
そこに混乱が生じる原因があるのです。
ゼロ成長を生きるためには、これまで高度成長に備えていたものを切り捨てなければなりません。たとえば膨大にある設備投資関連の産業は整理されていくでしょう。
しかしその代りに、これまで設備投資に向けられていた資源と能力が解放されることになります。
今度はそれを生かして、生活水準の充実や環境条件の整備に使うことができるようになります。
もちろん、それに至るまでには過渡的なプロセスがあるはずですから、それが苦しみとなって続くということになるのでしょうが…。」(『危機の宰相』P.206)
この言葉は1977年、沢木耕太郎が下村治にインタビューしたときのものである。
見える人には見えていたのだ。
今の日本の有様が。