北京に滞在していた思婷さんが、故郷樟樹の親戚の家に行く途中、南昌の我が宿舎に立ち寄った。
北京駅から南昌駅まで18時間。
長旅に疲れていないはずはないのだが、
小柄な彼女は、まるで麦盧園からちょっとバスに乗ってきたかのように、
気軽な様子でやって来た。
子どものころから水汲みで鍛えた健康な身体と強じんな精神を持つすごい子だ。
彼女は6月、財大を卒業後、
南昌でアルバイトを探したが不運なことがあって頓挫し、
北京に行った学友、斯麗さんのところに身を寄せたり、
出稼ぎ先の両親のところに行ったり、
また再び北京の斯麗さんのところ(正確には斯麗さんのボーイフレンドのアパート)に泊まったりして、
このひと夏を過ごした。
両親、弟と生まれて初めての家族旅行をした以外は、
概ね可哀想な夏休みだったと言える。
なぜ彼女は夏休みに南昌からバスで2時間ぐらいしか離れていない故郷、樟樹に戻らなかったのか。
戻りたくても戻れなかったのだ。
彼女の家には現在、誰も住んでいない。
両親は河北省に出稼ぎに行っているし、
弟は北京の航空大学に在学中だ。
彼女は自分の生まれ育ったその家や村を愛してやまないが、
たった一人、故郷の自分の家で夏休みを過ごすことが、非常に危険であることを知っている。
留守中、鍵が壊され泥棒に入られたこともある。
お父さんが自力で建てた家の壁には、ペンキでバイク屋の広告が吹付けられている。
その村以外の者たちが、出稼ぎで留守にしている家を狙って空き巣に入ることは珍しくないという。
実は、彼女は駅から直接我が宿舎に来たのではなく、
一旦大学の寮に戻り、そこから後輩二人とUターンして来たのだ。
既に卒業したので彼女の部屋はないが、後輩たちがやり繰りしてベッドを提供してくれる。いい先輩にはいい後輩がつくものだ。
後輩二人は今度4年になる洪さんと葉さん。
二人とも大学院受験を目指して、この夏休みは家にも戻らず、
麦盧園の資料室でひたすら自習を続けてきた。
勉強は順調か、と尋ねると
「なんで大学院にいかなければならないのか、分からなくなりました」だの
「通訳の専門は難しくて、受かりそうもありません」だの
ボロボロと弱音を吐くではないか。
彼女たちは、思婷さんのように、ひたすらがんばる根性が自分たちにはない、と言う。
確かに思婷さんは強靭な粘りがある。
あれだけ努力をコンスタントに続けられる人は、多くないとは思う。
しかし、他にも斯麗さん、夢婕さんの例もある。
この二人は、ブレたり、落ち込んだり、を周期的に繰り返しつつも、
互いに叱咤激励して危機を乗り越え、最後には成功の果実を掴んだのである。
斯麗さんは大学院入試が終わった日、試験会場から戻るバスの中で泣けて泣けて堪らなかったと言う。
私の宿舎にたどり着いた時もまだ泣いていた。
普通の女の子たちが、
弱気と闘いながら、懸命に努力を続けているのだ。
ほんの少しでも支えになってあげたい。
そんな思いで、洪さん、葉さんを激励して帰したのだった。
思婷さんとはこれからしばらく会えない。
いよいよ9月から広東省の広州外語外貿大学で大学院生として日本の歴史文化を研究するのだ。
北京の斯麗さん、夢婕さんも同様に、
さらなる飛躍と深化の時代に入る。
頼もしい限りである。
北京駅から南昌駅まで18時間。
長旅に疲れていないはずはないのだが、
小柄な彼女は、まるで麦盧園からちょっとバスに乗ってきたかのように、
気軽な様子でやって来た。
子どものころから水汲みで鍛えた健康な身体と強じんな精神を持つすごい子だ。
彼女は6月、財大を卒業後、
南昌でアルバイトを探したが不運なことがあって頓挫し、
北京に行った学友、斯麗さんのところに身を寄せたり、
出稼ぎ先の両親のところに行ったり、
また再び北京の斯麗さんのところ(正確には斯麗さんのボーイフレンドのアパート)に泊まったりして、
このひと夏を過ごした。
両親、弟と生まれて初めての家族旅行をした以外は、
概ね可哀想な夏休みだったと言える。
なぜ彼女は夏休みに南昌からバスで2時間ぐらいしか離れていない故郷、樟樹に戻らなかったのか。
戻りたくても戻れなかったのだ。
彼女の家には現在、誰も住んでいない。
両親は河北省に出稼ぎに行っているし、
弟は北京の航空大学に在学中だ。
彼女は自分の生まれ育ったその家や村を愛してやまないが、
たった一人、故郷の自分の家で夏休みを過ごすことが、非常に危険であることを知っている。
留守中、鍵が壊され泥棒に入られたこともある。
お父さんが自力で建てた家の壁には、ペンキでバイク屋の広告が吹付けられている。
その村以外の者たちが、出稼ぎで留守にしている家を狙って空き巣に入ることは珍しくないという。
実は、彼女は駅から直接我が宿舎に来たのではなく、
一旦大学の寮に戻り、そこから後輩二人とUターンして来たのだ。
既に卒業したので彼女の部屋はないが、後輩たちがやり繰りしてベッドを提供してくれる。いい先輩にはいい後輩がつくものだ。
後輩二人は今度4年になる洪さんと葉さん。
二人とも大学院受験を目指して、この夏休みは家にも戻らず、
麦盧園の資料室でひたすら自習を続けてきた。
勉強は順調か、と尋ねると
「なんで大学院にいかなければならないのか、分からなくなりました」だの
「通訳の専門は難しくて、受かりそうもありません」だの
ボロボロと弱音を吐くではないか。
彼女たちは、思婷さんのように、ひたすらがんばる根性が自分たちにはない、と言う。
確かに思婷さんは強靭な粘りがある。
あれだけ努力をコンスタントに続けられる人は、多くないとは思う。
しかし、他にも斯麗さん、夢婕さんの例もある。
この二人は、ブレたり、落ち込んだり、を周期的に繰り返しつつも、
互いに叱咤激励して危機を乗り越え、最後には成功の果実を掴んだのである。
斯麗さんは大学院入試が終わった日、試験会場から戻るバスの中で泣けて泣けて堪らなかったと言う。
私の宿舎にたどり着いた時もまだ泣いていた。
普通の女の子たちが、
弱気と闘いながら、懸命に努力を続けているのだ。
ほんの少しでも支えになってあげたい。
そんな思いで、洪さん、葉さんを激励して帰したのだった。
思婷さんとはこれからしばらく会えない。
いよいよ9月から広東省の広州外語外貿大学で大学院生として日本の歴史文化を研究するのだ。
北京の斯麗さん、夢婕さんも同様に、
さらなる飛躍と深化の時代に入る。
頼もしい限りである。