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Brugge Style
正しいことを言う
先日の記事の一番最後に書いたことに関して。
いかにわたしがセコい小悪人であるとしても、
例えば十戒の後半にあるような人間と人間の基本的な約束ごとに対して「正しいこと」を言うつもりはないと言っているのではない。
また、世の中が少しでも穏やかになるのらば、公平な物言いをすることにやぶさかではない。
わたしは、駄文を書いたり、友だちにしゃべったり、娘に言い聞かせたりするときに、わたしの考え方は時間と空間(時代と環境でもいい)という枠の中に制限された非常にローカルなパラダイムか方便にすぎず、他の時間や空間の枠組みの中で生きている人の考え方はまた違うと思っているから、そういう意味で「正しいこと」を言うことに興味はない、と書いた。
えっ?その枠組みを超えて正義を果たす?それ、危ないです(あなたはアメリカか?・笑)。
それにこんなゴミのようなブログの初めから終わりまで「正しいこと」が書いてあって誰が読みたいと思う(笑)?
わたしはどんなに正しい考えを述べる人であっても、「自分だけが正しい」と考えている人を警戒している。で、逃走する。だってそういう人のハナシは必ずモノローグであり、他の意見を取り入れる踊り場みたいなものが全くないため、不愉快だからだ。
例えば強く何かを信ずる人(宗教でも主義でも史観でも株でも)にはそういう人がいるし
差別をする人にもそういう人がいるし
「下々の人間は何も分かってない」と本気で思っているエリートもそうだし
外には別の世界があるということを知るチャンスを制限されている知的貧困層にもそういう人はいるし
そう言いつつ力説を始めるわたし自身も同じ穴のムジナだし(笑)
まあどこにでもいるわけですよ。
わたしはここにわたしの枠の中で書けることを書いているだけであり、それは誤謬と偏見とうぬぼれに満ちている。
あ、だからと言って過激になんでも書くぞ、ということではない。正しいことは書けないにしても、友だちに「ちゃうかもしれへんけど...(ちゃうかもしれへんけど、というのはわたしと同年代の同地域出身の友人たちの共通のフレーズである。何かを主張した後に言い足すのである)」と話し、お互いコンセンサスへのとっかかりみたいなものを示し合うように、まあ、そのようなことをしたいのである。
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そんなに鳴くなよ
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入れてくれ~入れてくれ~入れてくれ~
と、キツネのような立派なしっぽを振りながらガラス扉に身体をすりつけ、高い声でなおなおなおと鳴く。
うわ~かっかわいいい~
他の犬に吠えられてもガン無視(おそらく自分が吠えの対象になっているとは気がついていない)、絶対に吠えないのウチの飼い犬は、身体を固くして低いうなり声を絞り出しながら猫ちゃんを睨みつけている。
反対に人間のわれわれはめろめろにされてしまった。
抱っこすると猫の身体独特の、一昨々日の風船のような感触が伝わってくる。
完全左右対称の顔、シルバーグレーと黒の長めのふわっふわの毛、むくむくの手足、真っ黒な瞳!
神様、猫族はあなたの最高傑作ですな。百獣の王。
猫ちゃん、喉を鳴らす。腕の中で眠る。夫のガウンの上でおっぱいを探してちうちう吸う。
人間には慣れているようだが、毛は汚い。首輪もない。ブルージュには大人の事情で野良猫や野良犬がいないのであるが、いったいどういう子なのだろう。
飼い犬の我慢が限界に達したようで、彼女が「ぶふ!」と喉で小さく吠えたら、猫ちゃんは細く開けたドアからフォークの間を垂れるクリームのようにすりぬけて隣家の方へ姿が見えなくなった。
それから
飼い犬はすまないことをしたと思っているかのようにずっと鼻を鳴らし続けている。
娘はずっと窓枠に腰掛けて、猫ちゃんが戻ってこないかどうか見ている。
夜は嵐で、どこかで猫ちゃんが鳴いているような気がした。
シャワーを使っていても、お菓子の袋をがさがさ開けていても、寝返りを打っていても動作を止めてしまう。
そんなに鳴くなよ。猫ちゃん。
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乙女の一分
ルブタンのハイヒール、靴底を貼り直してもらった。
うあああっ!
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いつも修理してくれている人とは別の人が処理したに違いない。
そりゃ所詮靴底。
絨毯の上のみでの着用にしない限り、自然に赤色は消えて行く。
でもね、でもね。それでも赤で貼るのが職人やん。
いや、兄さん、愛人の1人も欲しくないかい?(えっ、欲しくない?)欲しかったら赤で貼らな。兄さん、分かってないな~。
女心だよ。
まるで
フレンチの料理教室で一皿を綺麗に盛りつけたのに、「付け合わせがあまってるからっ」と、追加で皿にがばっと盛っていく人を見た時みたい...
まるで
大切な日に男性から家電をプレゼントされる女になったみたい(されたことないけど)...
まるで
「ホテルなんか寝るだけだし、子どももいるし、誰に見られるわけでもないし、お金かけるなんてもったいないわ!」というハナシを聞いた時みたい...
ああ乙女心。
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Bottega Veneta ブラッセル店
ボッテガ・ベネタで注文してあった秋冬ものの服、パリへは車で出かけたのでついでにお店まで取りに行った。
「グッドニュースよ!来年ブラッセルにお店ができるのよ!もうパリまでわざわざ来なくていいのよ!」と店員氏に開口一番言われた。
彼、ぴょんぴょんしてたぞ。人生楽しそうやね。
こういうときはわたしもぴょんぴょんすると楽しくなるんであろうか。
ウォータールー通りに2009年(詳細は未定)オープンだそうだ。
オープニングパーティーが楽しみなのである。
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アメリカ
昨日のこと。ケンピンスキのバアで夫とのんきに飲んでいたら、CNNが無音で流れていた。
オバマ氏勝利の福音を伝える番組である。
アメリカが「黒人の」大統領を選んだことは、CNNの画面に貼りついた輝く「歴史的」という文字そのままの偉業である。
わたしだって弁舌さわやかで、若く、スマートで、頭も良さそうで、ノーブルな雰囲気ただよう(誰かとは正反対のクオリティーだ)オバマ氏が選ばれてうれしいよ。まるでアメリカがそういうフレッシュな国に変わるような気さえするではないか。
アメリカの統合と減税を約束した彼が、極東の子分をさらに搾取しそうであることを割り引いても、うん、未来は明るいような気がしてうれしいよ。
しかし...オバマ氏ってそんなに「黒人」なのか?
わたしが彼を見る時、まず情報として入ってくるのは彼の肌の色よりも、彼の話し方、仕草、服装センス、経歴、などなどが「めっちゃ成功したアメリカ人」のものだということである。
つまり彼のことを被抑圧民の黒人とカテゴライズすることもできるし、アメリカ国民の大部分とは切れた「勝ち組」(いやな言葉だ)とカテゴライズすることもできる。それはすべてオバマという人物をどう分節するかによる。
それで思うのだが、彼が黒人初の大統領であることを何よりも言祝ぐ人々は、彼ら自身が人種主義に加担していることに気がついているのだろうか。もちろん黒人の大統領が選ばれることは選ばれないよりいいに決まっているのだけれど、本気で人種の壁を無くしたいなら、オバマ氏自身がしたように、「黒人」と強調しない方が賢明なのではないかと思うのである。
とりあえずアメリカでは能力次第では人種の壁を越えて大統領になることができると証明されたわけで、が、一方で、黒くても黄色くても、既存の勝ち組のマナーを十分に会得すれば成功できるというフォーミュラを強化したということにもなる(当然オバマ氏の勝因はこれだけに帰するものではない)。
今後、一部のアメリカ人の親たちは子どもたちがそのマナーを取得することに血道をあげるのであろう。
アメリカの価値は「誰にでも分かりやすいもの」をスタンダードにして決定される(それは子どものクラスで誰が一番ポピュラーかというようなことから、国家のあり方まで)。だから彼らの価値観は時々びっくりするほど保守的なのだ。
肌の色を克服する第一ハードルを越えた、と人々が思っている今(思っていないかもしれないけれど)、マナーを共有しないものも人間らしく暮らせる世界もいずれ到来するのだろうか、と、色のない空を見ながら多少の希望をこめて思ったのである。
人生とその日常のたいていの場合、わたしは『正しい』ことを言ったり書いたりすることにはほとんど興味がないのでご了承下さい(と、腰も引けまくり)。
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