この前見た記事で、ひろゆき氏が
「バカは努力がすべてだと信じている」(←かなり噛み砕いています)
みたいなことを言っていた。
これ、ものすご~~~~く共感する!
たとえば、少しでも仕事が楽になるようにと、
座りやすい椅子を用意したり、マニュアルを作ったり、
Excelのマクロを組んであげたりすると、
おバカさんは、イラついた様子を見せたり、
ときにはキレたりするのだ。
「余計なことするな!👹」と……。
本当に意味不明である。
この心理は、長らく謎だったけれど、
「努力信仰」で説明できることに気づいた。
おバカさんは、努力(苦労)を美徳だと考えているから、
それをなくそうとすることが許せない。
余計なことに頭を使うくらいなら、
耐えて耐えて耐え忍べ!
こういう思考回路なのだろう。
奴隷の鎖を取ってあげようとすると、怒るのと同じである。
まあ、他人の価値観を否定するつもりはないから、
努力信仰も自由だとは思うけれど、
家族や仕事のパートナーがこれだったら……
もはや、地獄でしかない💀💀💀……。
それで、個人的には「努力F●CK!!」と思っている。
「努力は必ず報われる」なんていう迷信が蔓延っているから、
他人の痛みを「努力が足りない」で切り捨てるような
殺伐とした社会になってしまったのだ。
そういう意味では、「階級社会」は精神的にすごく楽だった。
自分が「底辺」にいるのは運命だから仕方ない、
と言い訳することができた。同情も誘うことができた。
だが、「なんちゃって自由社会」になると、
「底辺」にいるのは努力が足りないからだ、
自業自得だ、努力しろ、と責め立てられることになる。
自由な社会で永久封印したい言葉、それが「努力」である。